シンボルマーク
トップページへ戻る リベルダージについて スケジュール 新しい仲間を歓迎します 浅草サンバカーニバル ダンスのこと・衣装のこと サンバとその他のブラジル音楽 ブラジルのカーニバル デジタルリベルダージニュース リンク集 掲示板
式根島旅行
* 2008年
* 2006年
* 2005年
* 2004年
* 2003年
* 2002年
* 2001年
* 1999年
* 1998年
2006年 恒例式根島旅行--23区内版(?)--

台風に翻弄され「ツアー中止」でも遊び倒す(9/16〜18)
レポート by おーゆみこ

(文中の写真のほとんどは、クリックすると大きな写真が見られます。また写真はまだ数が少ないので、撮ったよという方ご提供下さい)

式根島行きを1週間後に控えたある夜、
はなんとなく寝付きが悪く(朝寝坊したせいだけど)悶々としていた。相棒も地方巡業(?)で留守、そういうとき私はなんとなく心細くて、テレビをつけっぱなしにしてしまう。もちろん音は最小限に絞っているが。そうこうしているうちに雷の音がしはじめ、雨が降り出し、ついにはげしい雷雨になった。ますます心細く不安になる。テレビの音は雷と雨でまったく聞こえない。それでもなんとなくうとうとしはじめたとき、雷と雨の音の間隙を縫って私の耳に飛び込んできたテレビのアナウンサーの声。
「台風13号が発生しました」
ええっ!?
私は跳び起きた。画面の天気図で、沖縄のはるか南に台風の姿。
焦って、音量を上げようとリモコンを向けたとたんに
「プツ」
え?
……停電してしまったのである。
私の心は不安で台風のように渦巻いた。
思えばこれが、私たちを翻弄した台風13号との最初の「不吉な」遭遇であった。

だがその後、13号の進路はずっと西向きで、まったく日本には関係なく行ってしまいそうに見えていた。ただ、前線があるのが少し不安だった。こういう天気図のときは、台風が急に前線に乗っかるかのように急に進路を曲げることがある。でも13号は水曜日ぐらいまで何食わぬ顔で西にゆっくり進み続け、やはり行ってしまいそうだった。私は安心しかかっていた。

その数日前に、手違いで帰りの高速船の席がとれておらず、時間のかかる定期船で帰らなければならなくなったことが判明して、私は焦っていた。「緊急事態!!」とタイトルつけて式根島参加者連絡用メーリングリスト(以下”ML”)に報告。「それなら行かない」という人がいるのでは、と心配した。おおむねは
「なあんだ、緊急事態とかいうから行かれなくなったかと思っちゃったよ、別に定期船でもいいよ」
という反応で少し気がらくになったが、やはり妊婦や子供連れ、その他帰着が遅くなると困る人がいるのでいろいろ対策が必要でもあり、また急なことで連絡が取りきれないメンバーもいたので、なにやかやと私は気を揉んでいた。だがそれもそれなりになんとかなりそうで、東海汽船に最終人数を報告する予定の木曜には、ようやく目鼻は付いてほっとしていたのである。台風のこともむしろ忘れていて、その朝は天気図チェックもしていなった。だから東海汽船の担当の人に

「台風が来そうですけど、どうします?」
と聞かれて、改めて驚いた。慌てて天気図をチェック。13号の予想進路は大きく右に曲がっていた。
お、おまえ、やっぱり曲がるのか!!?
しかしその時点ではまだ西進中で、確実に曲がるとは言えない。スピードもその時点では時速15キロと自転車並みだったが、これが速まってくれるならさっさと行ってしまわないこともない…。なにしろ台風の予想はエキスパートでも完全には無理なのだ。
とにかく明日(金曜日)のぎりぎりまで様子を見ましょうということになった。

「こんどこそ緊急事態」
というタイトルでMLにその報告を流す。
…それから丸1日、それまでわいわいがやがやと楽しくやかましかったMLが、
「しーーーーーーん」
としてしまった。だーーれも投稿してくれない。いつも真っ先に「まあなんとかなる」と励ましてくれるKぴーも何も書かない…。
だれか何か言ってよおお。私は気が狂いそうだった。何も手につかない。台風は相変わらずゆっくりと西進している。少しは速度が上がれば、と願っていたが、あざわらうかのように「時速9km」と、さらにゆっくりになってしまった。


結局みんながじーーっと息を潜めたままその日は過ぎた。そして出発前日の金曜。確かに台風は予報通り進路を曲げ、速度も上がらず、事態は好転していない。だがものすごく「微妙」なのである。行こうと思えば行ける。向こうでも、まあ天気が良いとは言えなくとも、さほど酷くはないだろう。だが波は高いかもしれず、帰りの船が出るかどうかアヤシイ。出ても大揺れだろう。
「いざとなったら帰りを1日延ばすというリスクを冒すか、潔く中止にするか」
という選択肢を示して再びMLに投稿。やっとみんなも反応してくれる。が、やはりリスクを背負うのはつらい、という意見が多い。向こうで合流する予定だったヨットクラブも、前日までは「かえって面白いかも」などと言っていて、私がすでにどよーんと沈んでいる最中に「20名で行きま〜す」と能天気な連絡をよこしたのだが、さすがに「やっぱり中止する」と言ってきた。東海汽船の人も、月曜の帰りはやっぱりかなりアブナイです、と言う。
「やむを得ない…」
もはやこれまで。私は泣く泣く、「中止」という決断を下し、MLにその旨を流し、東海汽船も宿もキャンセルした。幸いキャンセル料はどちらもかからなかった。

******

だが、そこからが我々の真骨頂だった!

3日間がぽっかり空いてしまったからには、やけ酒でも飲みに行くしかないかと思っていたが、少なくとも明日は天気は悪くないようだ、BBQをしたい、という話が持ち上がる。でも連休だし、いまから大人数のBBQ会場なんて予約できないでしょう、と私は思った。ところが行動力のカタマリのKS子さんはさっそく
「近所の小金井公園に電話して聞いたら、別に予約は必要ないが、当日の8時半から利用受付する言っていたから、朝ひとっぱしり行ってきましょうか」
ただ足つきのグリルが必要だ、という。それにSケンが即反応、2台持っているから持っていくという。ならば、と私はその近くに「肉のハナマサ」はないかと検索。見事に、今年の2月に開店したばかりという武蔵境店がヒットし、では私が買いだしていくと申し出る。
それで急遽、小金井公園BBQ計画本格始動。とにかくその朝のKS子さんの報告を待って動き始めようということになる。

翌朝。KS子さんからの連絡を待っていた私の携帯にまず電話してきたのは、Nえっちだった。時間を見ると7時半。なんか悪い予感。
「おーゆみこさん? どこにいるんですか?」
「Nえっちこそ…ど、どこ?」
「竹芝桟橋ですけど…」

「メール見てなかったの?!」
「いや〜ここのとこ連日帰りが遅くて…」

「集合」時間には必ず伝説を作ってしまうオトコ、Nえっち健在。一昨年は集合時間と出航時間を勘違いし、出航5分前に悠然と登場し、その翌年は逆に早すぎるくらいの到着で話題になる。今年は…。

気を取り直し、再び待機。パソコンもたちあげて臨戦態勢。そして8:39、KS子さんから「受付完了」の報告。直ちに「始動!」とMLに指令を飛ばす。2分後、アウトドア総隊長Kぴーと野菜調達隊長Dちゃんから相次いで「了解!」と反応。食材を調達する関係から、来る人は連絡せよとさらに私が指令を出すと、続々と連絡が来る。

KS子さんはブルーシートを敷き、さらに割り箸やヒモを使って「結界」を張り(?)、木陰のベストプレイスに陣地を取っていてくれた。
「もー、はじめはシート敷いただけだったんだけど、周りを見たら、すでにグリルをセットしていたり、ロープ張ってたりとか着々とやっているからもう焦ったわよ〜。自転車で大慌てで家に戻って、ありったけのものをカゴに積んでまた来て、ガシガシ割り箸刺してヒモ張って…」
そして至る所に「リベルダージ」と書いた紙が貼られていた。グッジョブというしかない。
私の方はひっきりなしに携帯に入る連絡を司令塔として(?)いろいろ調整しつつ、肉隊長として(?)ハナマサへ。結局30人ぐらいは集まりそうということで、肉の買い出しもすごい量となり、1人で行ったことを後悔した(腕が抜けそうになりながら運んだ…)。
そうはいっても8時半以降に動き出したので、実際に現地でグリルに火が入り五月雨式にBBQが始まったのはもう昼近くになっていた。だがその日は結局、やや薄曇りながら寒くもなく暑くもなく爽やかな気候で、食べまくり飲みまくりのBBQは実に楽しかったのである。

夕方。
「じゃ、今日の合宿所にいくぞーー」
とKぴー。つまり近所のKS子さんの家であるが、KS子さん自身も当然の覚悟。帰った人やはぐれてしまって結局別に飲みに行った数人を除き、10数人がKS子邸に押し掛け、再び飲みまくり食べまくる。
そして「明日は何をしようか」という話になる。とにかくBBQは「こなした」。するてえと次は?
…「温泉」だろう。
その場でネットで検索し、水着で男女混浴できる露天風呂があるという「瀬田温泉」という施設を見つける。それじゃ明日はこれだ!その場にいないメンバーのためにも、MLで情報を流す。二子玉川の駅に14時集合!

「そね」(いつも泊まる民宿)別館だ〜と言いながら、KぴーとDちゃん、私はKS子邸にそのまま「宿泊」。
朝になって、私がシャワーを浴びさせてもらっているちょうどそのときに、私の携帯が鳴ったらしい。Kぴーたちが見てみると「着信:そね」。お、「そね」からだ、出た方がいいかも!と、Kぴーが私の代わりに出てくれたらしい。私にかけたつもりなのにオトコが出た相手もびっくりしたと思うが、「そねのおばちゃん」からだと思って「おーゆみこの仲間のものですが…」と言って出たKぴーも驚いた。向こうもオトコの声である。
「あの…リベルダージのOと申しますが…」

え? Oさん? 
なんとOさんは、ひとりで式根島に行ってしまったのである。別にNえっちのように「間違えた」わけではない。「どうしても夏の間に行きたかった」のだそうだ。
「きのうは快晴だったよ〜〜。スノーケリングもしたし。水着の女の子はいいねえ、タンガよりずっといいよ〜、えへえへ〜」
むむむ。
でもさすがに明日はどうなるか分からないので、今日のうちに帰るのだという。それで、予め宿に送ってしまってあった私たちの荷物を送り返す手続きをしてやろうか、と電話をしてきたのである。そうしてくれるようにお願いする。
「Oさんひとりで行っちゃったんだって〜」
とみんなの間で笑い話にはなったが、私はこころ乱れる。そうかそういう手もあったか。とにかく行ってしまって、1日だけでも楽しんで翌日帰ってきてしまうという手も。そもそも、今これを書いている時点で分かっているのだが、結果的には18日も船はなんとか出航したので、行こうと思えば行けて、帰っても来れたのである。しかし予報はやはり難しい。子どもや妊婦もいる団体では小回りは利かない。…しかたがなかったのだ。それにつけても台風13号め!! ガツーンと正面から来たならあきらめもつくのだが、
「ほーら。行くかもよ? そっち行くかもよ? どうしようかな〜〜?」
と思わせぶりをし、もったらもったら時間を稼いだあげく、結局はかなり北に逸れて行ったのだ。悔しくてしょうがない。もっともこの台風には深刻に被害に遭われた方も多いのだから、そんなことは言ってる場合ではないのだが…。
ともあれ、Oさんがひとりで行って「快晴だったよ〜」なんて言うので、私はOさんを憎みかけているのだった

さて、ともあれ「2日目」。温泉計画発動。
「いやあ、式根島がなんだか広くなってしまったねえ。歩いていけるはずだった露天風呂行くのに、電車乗らなきゃならないなんて」
とか言いながら二子玉川の駅に集合。駅からは送迎バスには乗らずペタペタ歩いていくことで、せめても「島気分」を味わおうとする(交通量の多い246号線沿いなので難しかったが)。
だが瀬田温泉は素晴らしかった。水着で混浴できる露天風呂はかなり大きく、さらに、しばらく気づかなかったが、もっと奥まで進んでみると、少し小振りだがジャグジーのようになっている露天風呂があり、そのそばにはバーカウンターまで! 
「おわ! 飲めるのか!」
突然、いっそう元気になる一同。ビールやトロピカルカクテルをゲットして、すこぶるご機嫌。
「目をつぶれば、向こうは大海原…!」
とむりやり式根気分を盛り上げる。そのうち雨が降ってきて、一時はかなりザンザン降りになるが、だれも気にしない。
20人近くが、3時間ぐらいバカ話をしながらウダウダしていた。

その後は、自由が丘にある沖縄料理店「なんた浜」に行こう、ということになる。小さい店なのだが、またもや機動力を発揮して即予約の電話を入れたので20人でも入れてしまった。式根島の「島焼酎」が「泡盛」に、「ムロアジのクサヤ」は「グルクンの塩焼き」に化けてしまったが、ここは式根島唯一の居酒屋「千漁」別館、ということにする(笑)。
出てくる料理がみなものすごく美味しいので感動する人がたくさん。
そうこうしているうち、店の常連さんらしいおじさんが、三線を取り出す。この店には「歌詞集」なるものも常備してあり、沖縄民謡や「涙そうそう」などの歌詞が書いてある。Yきちは、三線のおじさんを「先生!」と呼び、
「次は18番お願いします!」
とすっかりカラオケ扱いでリクエスト。でもおじさんは楽しそうに弾いて歌ってくれ、我々はサンバの小物楽器や、店にある沖縄のタイコを手にしてはしゃぐ。これまたものすごく楽しいひとときであった。

歌詞集
三線のおじさん
歌うKY子母さんとMNMN・RMたん
三線のおじさんにも絶賛されたMNMNのタイコ
歌詞集
三線のおじさん

歌うKS子母さんと
MNMN・RMたん

   三線のおじさんにも絶賛された
MNMNのタイコ

 

その場でまた「3日目」はどうするかという相談。BBQもし、温泉も行き、飲み屋も行き、歌い踊りもし…。あと足りないのは「魚を見る」である。そこで、水族館に行くということになった。

「今夜の『そね第2別館』はHッシー邸!」
とまたKぴーが叫ぶ。
Hッシーはそれを覚悟していたと言うより、むしろ「期待していた」。
「式根島に行きたいですが、アウトドアは苦手なので、インドアに徹します」
と宣言していたHッシーは、「ゲーム隊長」に任命され、ラブジェンガやツイスターなど適当なゲームを見繕って買って持ってくるという任務があった。それでHッシーはその日、「アウトドア活動」である露天風呂はパスして自宅を掃除し、任務遂行をしようとしていたのである(沖縄料理店から合流していた)。
そこで何人かが『そね第2別館』に向かう。そこでゲーム三昧の夜が繰り広げられたらしい。
だが、「魚を見るためには早寝早起き」をモットーとする筆者は例によって(?)それには参加しなかった。よってここは例によって別の人のレポートを待つ。
実は「7並べ」が一番好きだというHッシーは、それもちゃんと遊んでもらって
「よかったです、麻雀やるから集まろうと言えば人は来るけど、7並べするから集まろうと言っても来ないでしょうから」
と嬉しそうだった。

翌日昼頃、葛西臨海公園の駅に集合。
Hッシーは大荷物を持っている。
「なにそれ?」
「ラブジェンガと、ツイスターと、UNOと…」
「え?だって水族館行くんだよ」
「だっていつどうなるか分からないですから」
実は小金井公園でBBQのときは、せっかく買ったゲームを持ってこなくてバカにされたのである。
だがHッシーの荷物はまだあった。アゴゴと、タンボリン…。
「いや、だから、水族館だよ?」
「だっていつパゴージとかバツカーダが始まるか分からないし、そうなったとき持ってないと悔しいですから…」
……。まあ、たしかにモノというのはなんであれ、手元にないときに限って必要となる、ってことはあるよねえ…。

でもそれらが必要になることはないまま、水族館見学が遂行される。
…でも、正直言って、魚を見ているうちにちょっとセツなくなってきてしまったのであった。うーん、やっぱり自分が泳ぎながら見たかったのお…。こればかりはさすがに「23区内版」では癒しきれなかった。

葛西臨海公園でむりやりUNOをやる
この2人(HッシーとNさん)は前夜からひたすらゲーム三昧で宿命のライバル化
葛西臨海公園でむりやりUNOをやる
この2人(HッシーとNさん)は前夜からひたすらゲーム三昧で宿命のライバル化

 

最後はダメおしで居酒屋へ。普段は3日目ともなればシーフード系にはすでに飽きているはずだが、今回はそれが足りない。シーフード三昧しよう、というので「海鮮居酒屋 はなの舞い」へ…いこうとしたが祝日休みで、しかたなく「笑笑」へ。
刺身だのホッケだのネギトロ巻きだの注文していると
「ひとくち餃子」
とNさんが別の店員さんに注文する声が。すると
「え!だめよ!シーフードじゃないでしょ!!」
仕切るのがほぼ職業病(?)のKS子さんは大まじめに「きっ!」とNさんを睨み付ける。
「あ、あの、えと、シーフード餃子だから」
Nさんは見え透いたゴマカシを言うのだが、それを真に受けて、餃子が来てから食べてみて
「……シーフード餃子じゃないじゃない」
と顔をしかめたのは、肉は食べない主義のベジタリアンMちゃんであった。

Hッシーは持ってきたUNOをNさんやI夫妻とやり始める。KS子家の娘たちMんMん・RMたんは大人相手になぞなぞを出して笑い転げる。私とKぴーと日本酒専門大酒のみのISじぃ(♀)はしつこく飲み続ける。いつまでも帰りたくない気分なのだ。
だが終わりは来てしまい、ほんとに島に行ったよりもかえって話題てんこもりだったかもしれない3日間の「23区版:式根島ツアー」は解散。
翌朝はいつにもましての「宴のあとの寂しさ」を感じる私たちであった。


ページ上へ

Contact us サイトマップ メンバー向けの情報 Copyright(c)  G.R.E.S. LIBERDADE. All right reserved.