2002年 恒例式根島旅行
今年は例年に増して飲んだくればっかし(9/14〜16)
レポート by おーゆみこ
昨年のレポートに、ひたすら飲んでいた話を書いたせいか、今年の式根島ツアーに集まった連中はますます飲んだくればっかしだった。当然ながら行いの良さなど期待すべくもなく、またもや式根島は涙雨・・。こんなことばかり書いていると益々来年は参加者が減ってしまいそうだが、しかーーし!! 実は今年のツアーでは、我々はかなり心を入れ替え、久しぶりに?「サンバチームらしいツアー」の様相が戻ってきて、実はけっこう充実していたのだ。更正の道は順調である。
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今年は、ちょうど「島民祭り」の日に当たっていた。いつも島でBBQの世話を焼いてくれる、ホンジャマカ石塚激似の宮川さんから、それならついでに何かやってくれませんか、と頼まれていた。喜んで! なぜかほとんど誰も持ってこなかった去年と違って、みんな張り切って楽器を持ってきた。持っていれば叩くのである。雨にたたられた土曜の午後も、民宿で皆でパゴージに興じた。課題曲?もあり、普段歌わない人もウタに挑戦。去年とは打って変わって、「サンバチームらしさ」にあふれていたのである。
雨も上がり、夜は海岸でバーベキュー。村役場からビールの差し入れもある。宮川さんははりきって、大きなカンパチを丸ごと一尾、皆の目の前でさばいてくれる。頭の部分はカマ焼きに、身の部分は新鮮きわまりない刺身! なんたる贅沢。養殖物ではない、獲れたばかりの新鮮なカンパチである。
バーベキュー会場にも楽器を持ち込み、お腹が落ち着いたころ、なんと整列までして「練習」を始めた我々である。すばらしい更正のしかたではあるまいか。会場である海岸付近には人家がほとんどないので、夜遅くまで騒ぎ放題だった。
> こむどうさんの息子ヒロくんが4歳にして最年少ジレトールデビューしたことは特筆に値する(?)彼はコドモながら、お父さんと同じく、丁寧語を使ってしゃべる。「用意はいいですか、はじめて下さい」と言うと演奏が始まり、手でバッテンを作って出すと止めてくれる。大人をあやつる?快感に目覚め(させ)てしまった瞬間かもしれない・・。ついでにいえばヒロくんはこの旅行中、キレーなオネーさんたちになついて甘えまくり、四六時中だれかしらにくっついていて、だっこされ、あまつさえホッペにチュウまでされてご満悦。父親のコムドウさん曰く「なんか悔しいですねえ、ずるいですねえ。あいつは絶対に、確信犯ですよ、コドモだから許される、って分かってますねあれは。もうワタシに似てスジガネ入りのスケベですからね、ほんと」。だが幸せな時を過ごしすぎたせいか、帰ってから熱を出してしまったそうな。
翌日曜は、曇ってはいたが時には晴れ間も出るまあまあの天気。海岸に繰り出す。少し涼しかったが泳げないことはない。ところが、いつもお気に入りの中浦ビーチにはクラゲが出現。いちばんひどく刺されたのはミキちゃんで、両腕両足を真っ赤に腫らして泣きべそをかいている。他の人々は「なんかチクチクする」程度だったのに。カジ姐などは、「私ぜんぜん平気だったよ?」と言い、それに対して「クラゲも人を選ぶんだよ」と言った向島ヒデ兄がケリを食らっていたのは言うまでもない。
(そういえばここで、「会員外」のとある参加者について紹介。リベルダージに興味を持っている、と電話をしてきて、まだ一度も会ったことがないのに「で、ぼくも式根島行きたいんですけど」と言ってきたハヤシくんである。もちろん大歓迎だけど、ほんと? それでもぜひ、というので予約の人数に入れて、当日の待ち合わせなど連絡した。前日に、竹柴桟橋への行き方を教えてくれと電話してきたとき彼は早くも「リベルダージのハヤシですけど」と名乗ったのである。キミは正しい!素晴らしい! で、島に行ってから、バカ騒ぎをする連中にまださすがに完全にはとけ込めず、雅の湯でなんとなく所在なさげにプカプカしている姿に、あっという間にあだ名が付いた・・「タマちゃん」である。もちろん多摩川のアザラシくんの連想だ。一方的にそう言われはじめたのに、彼はきわめて順応性の高い青年らしく、その日のうちには自ら「たまです」と名乗るようになってしまった。キミの前途に祝福!もちろん会員になる予定−−いや気分はもう「なっている」か)
ともあれ、気持ちよく泳げないので、再びゾロゾロと、島の反対側の石白川ビーチに移動。クラゲ被害のミキちゃんは途中で宿に立ち寄って、おばさんにキンカンを貸してもらっていたが「クラゲなんて私の若いころはまいんち刺されてたよ〜〜」てなもんで、ひとつも同情してもらえなかった。都会もんはやわっちいのお、とおばさんは思ったであろう。
石白川ビーチはまあまあ快適だった。が、やはり曇りがちでいささか涼しい。しばらくして、地鉈温泉に移動。ここでは、温泉で暖まり、岩を乗り越えて海で泳ぎ、また暖まり、と極楽モード。天気はいまいちでもかなり楽しめるのが式根島である(がしかし、実は筆者おーゆみこは地鉈温泉にたどり着くまでの、いや、帰りに遭遇することになる厳しい崖の登りを思ってメゲ、近場の足附温泉でお茶を濁してしまった。地鉈の外の海で泳げた、と後で聞いて、とにかく泳ぎの好きな私は地団駄を踏んだ。人間、守りに入っちゃだめである、身を以て学んだ)。
そしてその夜、島民祭りの特設会場にて我々は「式根島サンバ化計画」の輝かしい第一歩を踏み出した。夕食時のビールすら控えてステージに臨んだ、浴衣姿の中野ジレトール代理率いるバテリア軍団・遠路はるばる衣装を持ってきたダンサー陣は、式根島住民および観光客を感涙にむせばせた(と思う)。そもそも式根島に我々が着いてからというもの、こちらが何も言わないのになぜか「ああ、サンバの人ですね、あした見に行きますよ!」と行く先々で声をかけられたものである。こんなに喜ばれるというのも、そしてそれがダイレクトに伝わって来るというのも芸人冥利に尽きるではないか。
祭りの会場は、東京からの船が着くメインの港だった。ステージをはじめる直前にはちらほらしかいなかった客が、サンバがはじまるとあれよあれよという間に満杯に。そもそも700人しか住民のいない式根島、連休とは言え観光客もせいぜい200人ぐらいと思うが、その大半がやってきたのではないだろうか。
もっとも目当てはその次に行われた「大抽選会」かもしれない。あらかじめ番号カードが配られ、ステージで箱から引かれた番号と一致すれば当たりである。ステージ上でくじを引く、キャンペーンガールみたいな役割をしたのはカジ姐である。私たちもカードをもらったが、番号は全部で600番台までしかなく、かなりな確率で当たりがあるぞ!と思った私たちは、ステージの裏で、カジ姐がひく番号が読み上げられるたびに一喜一憂した。
かなり早い段階で、れおんが新島ガラスのコップを当て、一同ますます気合いが入る。我々はみな678からの番号に固まっていたので、読み上げる人が「ろっぴゃく!」と言えば「おお?!」「ななじゅう!」と言えば「おおおお!」「いち!」「ああああ〜〜〜」
ところがあとでカジ姐に聞いたところ、「箱の中のくじの番号が取るときに丸見えなのよ〜〜」それだけに、あからさまに我々の番号にいい商品を引き当てられない、600番台を手にとっても、何枚も捨てたわよ・・と言われ、なんだあ。商品はDVDプレーヤーとか東京ディズニーランドペア券とか、けっこうオイシイものもあったのに。しかし島民こぞって参加する思い切りローカルな抽選会、島の温泉施設「憩いの家」10回回数券が、当の憩いの家の管理人さんに当たったのには大爆笑。プレイステーションを当てたこどもに司会者が「お、ケントか? よかったなあ!」というのもほのぼのして笑えた。が、ケントくんは「プレステもう持ってるんだけどなあ・・」とあまり嬉しそうでもなかった(そんならこっちにくれ!)。
抽選会のあとは花火大会である。しかし悲しいことに、花火を打ち上げるのも港なので、危険だということで屋台の出ている祭り会場からは、人は急いで撤収しなければならない。平らな場所が本当に少ないのである。そうしてどこから人々は花火を見るかというと、港からの急な上り坂の途中で三々五々、という形だ。東京で(いや式根島も東京都なんだけどね)嫌と言うほど人のひしめきあう花火大会と雲泥の差。しかし花火の規模は負けていない・・いや負けているか・・・数発打ち上げた後の微妙な「間」・・・「もう、終わりかな?」・・・と思うとまた数発上がる。でもスターマインも含め、巨大なものがたくさんあがり、驚くほど間近で見られたので、これもまた一興であった。
花火大会の後、お酒を買い込んで宿に戻る。大宴会である。しばらくして、宮川さんの手下であるバイトの青年たちが乱入してきた。すっかり更正した我々はちゃーんとパゴージらしいパゴージをやっていたのだが、彼らはそれに大感激。
ガンザやアゴゴやタンタンを見よう見まねで叩き、カジ姐やこゆみこのダンス教室に挑戦し、大興奮。その彼らは携帯電話で連絡を取り合い、どんどん増殖するのである。飲んでウタって叩いて踊って、非サンバ人をもまきこむ、これぞ正しい「サンバチームの宴会」であった。夜が更けてからはまたしても温泉に出かけてそこでも騒ぎ、幸せな楽しい夜は長かった。
高速船でアクセスもしやすくなったので、1月頃にも「釣り・伊勢エビ・温泉・星空満喫ツアー」てのはどうかいな、と検討中。もちろんそこで新年サンバもやるのである。どうよ?
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