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式根島旅行
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1999年 恒例式根島旅行

式根島の有名人?になってしまった私たち(9/9〜12)
レポート by おーゆみこ

(文中の写真には、クリックすると少し大きな写真が見られるものがあります。写真からこのページへ戻るには、ブラウザの戻るボタンを使ってください。)

今年の式根島ツアー、私たちははっきり言って「人気者」であった。去年担当してくれた島の観光協会の人はすでに辞めていたし、私も予約などの電話をするときにサンバのサの字も出さず、ただ、去年も同じ時期にお世話になったものですが、大勢でまた行きますけれどもよろしく、と言っただけなのだ。が、島について観光協会に挨拶に行ったら「あ〜、どうも、楽しみにしてますよ。どちらでやられるんですか?」・・・???「は? な、何を?」「踊ったりなさるんでしょ」・・・・いや、あの、別に、てめーらで勝手に海岸とかでワイワイ盛り上がったりするだけなんですけどぉ・・。 「あぁ、そうですか、でもあとで見に行きますよ」  これが、まあなんというか予兆(?)であったのだが。

それにしても立て役者といったら、もうタニアである。行きの船の中からものすごいハイテンション(皆様も浅草で見ているでしょう、あのテンション)。それで、あたりにいるカンケーない人々をがんがん巻き込んでいく。「アナタ、名前ナンデスカ!」「あ・・あの・・金子(一例)ですけど・・」「ア〜〜〜、カネチャ〜〜〜ン、ィヨロシクゥ〜〜、アナタ、コッチ来ルネ、ハイ、コレ、ミンナ、リッベルダーヂネ、ミンナ、スッゴク楽シイ、アナタモ一度、レンシュウクル、ソシタラアナタ、ゼッタイスキニナルネ〜〜〜」。
50m四方には響き渡りそうな大音声にて、ずっとこの調子である。私たちの近くにいて、ちらりとでも興味のあるような表情をしたらもう彼女は見逃さない。船でも島でもヤマのように「トモダチ」を作ってしまった。で、島を離れるときや船を下りるときとか「ア〜〜〜〜〜〜〜〜〜(やはりとんでもなく大声)ワタシ、カナシイ、カエリタクナイネ、ワタシ、ホントニ、泣ク〜〜」と、まじで目に涙をためている。それで「トモダチ」もなにやら感動してしまったりする。そして私が呼ばれ(「フジチャ〜〜ン」)連絡先の名刺を渡してやってくれ、と言うのである。ちょっとしか持っていかなかったのですぐになくなってしまった。
こんなことならニュースかチラシを100部ぐらい持っていくのだった。タニアと組んでなにか営業活動をしたら最強かもしれない、と思った。
そして実際に、タニアのおかげで、式根島にてなにやらリベジの営業(とまではいかないが)の話も出てきたのである。それについては後でね。

さて、例年のごとく、9月になると島には観光客がほとんどいない。しかし天気に恵まれ、ビーチではまったく真夏である。特に金曜日は風もなく、もともと深い入り江なので穏やかなビーチなのだが、それにしてもなさ過ぎるくらいに波がない。水温も適度である。すでに海岸で唯一の売店も営業を終了しており、小屋を解体している。
そこでお昼は食料品店からおにぎり弁当を配達してもらう。それを配達してくれた車が帰りに急坂で砂にタイヤをとられて上れなくなっているのを、ジョージや藤井さんなど男性陣が助けに行った。我々のために届けてくれた車なのだから当然のことだが、翌日同じ店にやはりお弁当を頼んだら、「昨日車を押してくれたお礼に」と、揚げたてアツアツのコロッケをどーんと人数分(35人分)サービスしてくれた!パチパチパチ。
この島では(最盛期はどうかしらないが)万事がこの調子なのである。そういえば今年もやっぱり「そね」のおばちゃんは夕食時に飲んだビールを全部ただにしてくれたし、おじちゃんは「島焼酎を冷やしておいてやった」と、一升瓶をどんとくれてしまった。
さて、ここの海はあいかわらず水も美しく、魚もたくさん。ためしにおにぎりのかけらを持って海に入ってみたふみのちゃんは、あっという間に魚にどわっと囲まれて「きゃー」。去年はシュノーケリングセットを持ってこなかったなおちゃんたちは、今年はしっかりと「マイ・シュノーケル」を持ってはりきってやってきて、すっかりシュノーケリングのとりこに。「たのしーーー!!」中の浦にはけっこうな大物もいるのである。50〜60cmぐらいのブダイの仲間がときどきゆったりと泳いでいる。ウツボが口を開けて威嚇したりしていたり、イカの群がひらひらと漂っていたりする。

地鉈温泉それでも3時過ぎるといくらか涼しくもなってくるし、みんなもうそれぞれの活動を堪能したようすなので、恒例の地鉈温泉へ。
文字通り地面を鉈で割ったような谷底に沸いている熱湯に近い温泉が、潮が満ちてくると海水と混じってちょうど良い湯加減になる。温泉成分と、海草などの切れ端が混ざり合った泥のようなものが岩にへばりついていてぬるぬるし、その一部がはがれてぷかぷか浮いていて、それが「キモチワルイからやだ」と長さんは温泉に来たがらなかったが、これぞ天然の無料のタラソテラピー(海草の成分と泥とで美容パックなどする)、エステティックサロンでやったら高いよ〜〜、と、タニアは全身にその泥を塗りたくり始める。髪の毛までそれでパックして、そうはいってもちょっと後ずさりたくなるような姿になっていた。

さて翌日はさらに19人もがやってくることになっていた。ところが夜半から雷をともなう激しい雨。朝になっても止まず、雲も厚そうで、こりゃあ今日はだめかな、今日来る人は気の毒に・・・(「だれか行いの悪いヤツがくるんだ。私たちはきのう楽しんだからいいもんね〜〜」とか言っている不届きものも16人中10数人はいたが・・・???)。
しかしながら。やはりそういう可哀想なことは太陽マークのリベルダージは許さんけんね。かどうかしらないが、とりあえず雨は止み、うっすら青空も見えてきたので、なにはともあれ、とビーチへ繰り出すと、おお!太陽が顔を出すではないか。あれだけ激しい雨が降っていた割には水も濁っていない。
というわけで土曜の朝に着いた行いの悪い人々も、なんとか夏の日を堪能することが結局は出来たのである。人数が増え、みんな好き勝手をしているが、なにやら見ていると可笑しい。「日焼けすんのやだからよ〜〜」と、長袖のワイシャツを着たまま浮き輪にうずまっている齋藤さん。島流しのサラリーマンか? 自分と同じぐらいの大きさの「クマのぷーさん」につかまって漂うヤッコ。プーさんと一緒にかなり沖まで行ってしまっていて、「あれ流されてんじゃないの?」・・・実際「寝ちゃったら流されててさあ。慌てて漕いでもなかなかすすまなくて」あぶないなあ、と思ったが、実は元「水泳部」だったそうで。

ビーチでこの日は前日とは別のビーチに行ったのだが、ここには「最後の営業でレンタル類すべて半額」となっている売店があり、有料のビーチチェアもしつらえてあった。
ここでもタニアが大活躍である。売店のオーナーとも、そこでバイトをしていたお兄ちゃんとも、すぐに「トモダチ」になってしまい、有料のはずのビーチチェアも、「はじっこの2つだけはオッケー」ということになり、そのうちいつのまにか「全面オッケー」になってしまったのである。茨城県出身だというバイトの青年を「イッバラギちゃ〜〜ん」と呼びつけ、「ビールオネッガイシマ〜ス」、すると「イバラギちゃん」はまめまめしくビール持って走ってくる。風で帽子が飛べば、やはり全速力で走って取ってきてくれる。この日は風がとても強くなってしまっていて、一度など突風でかなりいろいろな荷物が飛ばされてしまった。そのときになくしたらしい頼ちゃんの自転車の鍵も、イバラギちゃんが丹念にあきらめずに探し、ついに砂の中から見つけだしてくれた。
帰り際「すみませんねえ、いろいろお騒がせして」と言うと「いえ、楽しいっす、きょうはほんとに楽しかったです!」とほんとうに嬉しそうに言ってくれた。タニアのパワーはすごい。

そしてそのタニアがまた私を呼ぶ「フジチャ〜〜〜ン、チョットキテクダサ〜〜〜イ」。行ってみると、その売店の経営者である西村さん(ニシチャン)に紹介された。そして式根島でなにかイベントやれないか、という話になる。
これについてはタニアが突然「営業」したわけではなく、実は「浅草でサンバカーニバルにでている人たちが式根島に大勢で来るらしい」ということが、やはり事前になぜか島中に伝わっていたようなのである。去年の浜辺でのブラチンパフォーマンスのこともあったし(今年は大物楽器が少なく、「隊長」もいなかったのでちゃんとした??パフォーマンスはやらずにただなんとなくポコポコしていただけだったのだが)、また5〜6年前にも来て海岸で叩いたり踊ったりしていたことを覚えている人たちも多かったらしく、「またあの人たちが来る」ということは、私が予約の際にサンバのサの字も出さずとも、バレて?いたのであった。そして、私たちも私たちで「なんかイベントとかで呼んでくれるといいのにね〜〜」などと冗談で言い合っていたのだが、式根島の人々もそっちはそっちで、あの人たち何かやってくれないだろうか、と話していたそうなのである。
もちろん、いきなりイベントでギャラをもらえるほどの企画には難しかろうが、私たちとしてもどうせ遊びに来るなら、遠慮することなくおおっぴらにやらせてもらえるだけでも嬉しい、そのうえ、「なんとかいろんなところの協賛をとりつければ、宿泊費だけでもこちらで持つとか、もっていきかたによっては船代、それが無理としても楽器の運搬費ぐらいはなんとかなるかもしれない」・・・なんとなんと。
別に観光客をあてこんで、ということではなく、式根島やおとなりの新島からでも人が来れば娯楽の少ない島の人々自身が楽しかろう、ということだけれど、それにしてもうまくいけば、9月に入って突然閑古鳥の島にもう一波だけお客がくるようなイベントにも育てうる、という話を「ニシチャン」とする。その日の夕方にはもう、島の人々の間のあちこちでその話が噂となっていて、土産物屋のオバサンとかも「婦人部でもなにかやりましょうよ、って話してるんですよ」なんぞと言ってくれる。翌日、船が出るときにもう一度「ニシチャン」に会ったら、「もう村会議員とかとも話してるんですよ」だと。うわあ。
さあ、みなさん、ま今のところはどうなるか全く分かりませんが、来年、浅草の2週間後の週末!!開けといて下さいね〜〜〜。イベントはともかく、遊びに行って、大歓待してもらえることだけは確か!

舟盛り歓待といえば。土曜の夜のメーンイベント、バーベキューもすごかった。あいにくの強風のため、沈む夕陽を見ながらやる予定だった大浦海岸では出来ずに場所を移し、現在はあまり使用されることのない式根島港の船客待合室(今は島の反対側の野伏港が主に使われている)で行われたのだが、セッティングされた会場に入ってみなびっくり。
バーベキューの材料が巨大な(1.5mぐらいの)「舟盛り」になっている!!
きゃあああ、素敵!と皆で大騒ぎしていると、さらに追い打ちをかけるように、やはり巨大な舟盛りのお刺身が到着。去年は観光協会の、つまり公務員として私たちの面倒を見てくれた宮川さん(ちょっとホンジャマカの石塚君に似てる)は、観光協会を辞め、このバーベキューセッティングの業者として独立したそうなのである。さすが、民間は工夫がひと味違う。
みんなすっかりゴキゲンになってわいのわいの、とエビやらホタテやらイカやらを満喫する。そして満腹になり、浜辺へ出て花火大会、そして塩野さんが持ってきたスルドがやっと活躍して、大パゴージ大会。式根島の人々は味方だ!と信じていたのでバキバキやったが、たまたまそのそばにあった「足附旅館」の人は式根島の人々の輪から取り残されていたらしく(???)うるさい、と苦情が。でもまだ時間も早かったので、10時までなら、ということで結局は懲りずに歌うは叩くは踊るは。「イバラギチャン」もわざわざ見物にやってきて、「楽しいっす〜〜〜!」そうして幸せな夜は過ぎていったのでありました。

タニア!そして翌朝、涙ながらに(タニアがほんとに泣いてしまうのよね)島を後にした・・が、まだ終わりではない。恒例の甲板パゴージである。
弦楽器もないし、いい加減なものなのだが、チンバウや小物楽器を叩いたり歌ったりしていると、甲板のあちこちで拍手が起こる。初めのうちこそ、「うるさいぞ」という文句も出て、ちょっとトーンダウンしたのだが、そのうち、うるさいと思う人は自ら場所を移していって、甲板中がけっこう我々を見て楽しんでいる気配になってきた。これもやっぱり、タニアなのである。例のハイテンションで甲板中を走り回り踊り周り、おじさんたちに抱きつくわ、ほっぺたにキスするわ、初めはなんとなく迷惑気な顔をしていた人たちもどんどん笑顔になってしまう。そしてまた「フジチャ〜〜ン」が呼ばれ「新島でも、イベントってんじゃないけど、遊びに来てやってくれないかなあ」てなことを言うおじさんと名刺交換したりしてしまった。

ジョージのいわく、タニアは使命感に目覚めてしまったのだそうな。「自分ができること、つまりサンバのダンスを通じて人々を幸せにする」という使命に。「もうあの人は何も怖いもん無しなんだよね、なにせ強力に目覚めたらしくて」。
その「使命に目覚めた」タニアにとって、「リベルダージは一番!」なのだそうで、本当にリベルダージを愛してくれ(とにかく雰囲気がどのエスコーラよりも抜群にいい!のだそうで)、副次的な「使命」としてリベルダージを浅草で勝たせる!ということも「ワタシ決メタネ。ゼッタイ、ゼッタイ!」なのだそうである。嬉しいじゃないか。

飛び入り参加のジャンベ奏者も!さて、甲板ではチョーシにのってどんどん盛り上がる・・・と、東海汽船の、帽子に金線の入った人(つまり偉い人)が「他のお客さんの迷惑ですからいいかげんにしてください」と言ってきた。それでしゅーん、と辞めてしまったのだが、そしたら今度は他のお客さんが、「どうしてやめるんですか、こっちは楽しんでるのに、もっとやってくださいよ。文句言われた? そんなのこっちが文句言っちゃいますよ、楽しいのにとりあげるなよって!!」と、口々に言ってくれたのであった。そしてどんどんビールは差し入れられるわ、励ましのお言葉は戴くわ、大人気もの、でありました。竹柴桟橋についてもみんなが名残を惜しんでくれて。やっぱり来年は東海汽船に交渉して、帰りはギャラもらってステージやりながら帰ろう。「カリビアンクルーズ」とやらのステージもちゃんと据え付けてあるのだし!

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