詩人の涙

マンゲイラでは
詩人が死ぬと,みんなが泣く
俺がマンゲイラで心静かでいられるのは
死ぬとき誰かが泣いてくれるはずだと
知っているからさ

でもマンゲイラでの涙は
とても他とは違っている
それはハンカチのいらない涙
人々を喜ばせる涙

私のためにも
泣いてくれる誰かがいるはずだ
パンデイロとタンボリンでね

(ポルトガル語原詩に戻る)

<歌詞解説>  
(基礎知識 *動詞の活用について  *be動詞について   *人称代名詞について)


Em Mangueira quando morre um poeta todos choram
(いん まんげーぃら  くあんどもーひ うんぽえーた,とどす しょーらん)
。quandoは英語の接続詞whenにあたり,「〜するとき」。morreは動詞morrer「死ぬ」の活用形。ここの主語は後に回っているum poeta「詩人」である。このようにポル語の語順は,とくに歌詞などでは厳密ではないことが多い。普通には当然quando um poeta morreとなるべきところである。todosは「みんな」。choramはchorar「泣く」の活用形で,主語が3人称複数形のときのかたち。

Vivo tranquilo em Mangueira porque
(う゛ぃう゛ぉ とらんくぃろ いん まんげいら ぽるけ)
vivoはvivirの活用形,主語は略されているがこの活用に対応するのは「私」である。この動詞の基本の意味は「生きる」であるが,後ろに形容詞をつけると「〜の状態である」という意味になる。その形容詞はtranquilo「静かな,安らかな」という意味(精神安定剤をトランキライザーと呼ぶのをご存じの方もいますよね)。だから,vivo tranquiloで,「心静かな状態でいる」ということ。porqueは英語のbecause,つまり「なぜならば」といって次のフレーズに続くのです。

Sei que alguém há de chorar quando em morrer
(せいきあうげん あじしょらー くあんど いん もーひ)
Seiは原形がsaber「知る」の「私」が主語の時の活用形。歌にはかなりひんぱんに出てくる語のひとつ。nao sei porque〜「なぜ〜なのか分からない〜〜〜」とよく嘆いている。queは英語のthatにあたる「〜であること」。alguemは「誰か」。há de+動詞の原形は「〜しなくてはならない,〜するに違いない,〜するはずだ」。(háは動詞haverの活用形であるから,主語によってかたちはことなる。ここは主語がalguémという三人称単数なのでそれに対応するかたち)。英語で言えばhave to〜と同じ。chorarはおなじみ「泣く」ですね。morrerも何度も出てくるおなじみさん。もへ〜、ってなんか脱力系だけど、意味は「死ぬ」。ということでこの一連のフレーズは「死ぬときは誰かが泣いてくれるはずだ,と私は知っている」

Mas o pranto em Manguera é tão diferente
(ます う ぷらんと いん まんげいら え たん ぢふぇれんち)
mas=but。o prantoは「涙」。涙を表す単語にはlagrimaというのがあるが,こちらは正確には「涙の一滴」(あるいは涙に限らず,しずく)を表すので,普通は複数形で使われる。prantoは集合的に涙,または悲嘆の気持ちそのものを表す。すでにおなじ
み,上にアセントのついたéは,英語のisでしたね。tãoは「とても」。deferenteは英語ととても似てますね。「異なる」という意味です。「マンゲイラでの涙はとても違っている」

é um pranto sem lenço que alegra a gente
(え うん ぷらんと せん れんそ き あれぐら じぇんち)
「マンゲイラでの涙」が引き続き主語である。semは英語のwithout「〜なしの」 lençoは「ハンカチ」。queはいわゆる関係代名詞で,prantoを修飾している。alegraは「喜ばせる、楽しませる」という意味の動詞alegrarの活用形。(これの名詞形alegria「喜び」は当然もうご存じですね。)a genteは「人々」。「マンゲイラの涙はハンカチの要らない涙,人々を楽しませる涙」。

Hei de ter um alguém pra chorar por  mim
(えいじてー うんあうげん ぷらしょらー ぽるみん)
hei de〜は、先に出てきたha de+動詞原形と同じだが,活用形が異なるので主語が「私」だと分かる。terは「持つ」。praは普通の辞書には載っていない。何を隠そう,実はparaなのである。しかし口語ではしばしばpraになるようだ。alguém pra chorar por mim「私のために泣いてくれる誰か」。「きっと私のために泣いてくれる誰かがいるはずだ」

Através de um pandeiro e de um tamborim
(あとらう゛ぇす ぢ うん ぱんでいろ い ぢ うん たんぼりん)
através deで「〜を通じて」。「パンデイロとタンボリンを通じて」つまり,マンゲイラでは詩人が死ぬとみんなが悲しむけれど,サンバを通じて悲しんでくれる,だからただ嘆くのではなく,人々はそれによって楽しむことができる,ということで,「サンバを生きる」エスコーラ人らしいほろ苦い歌である。クララヌネスの歌にも「私が死ぬときはバツカーダをお願い,私を最後のすみかにつれていってくれるように」という内容の歌があるが,けっこう同じことを心密かに思っている日本のサンビスタも多いかもしれない(私もそのひとりではある)。お経サンバでもいいか・・?(でもお地蔵サンバは勘弁)。

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