------------!Bumba Meu Boi!-----------

パリンチンスの牛合戦




 マゾン最大の音楽祭,パリンチンスのBOI BUMBAに参加すべく,その後もウダウダと周辺をほっついていました。パリンチンスはアマゾンの州都マナウスから行き18時間,帰りは26時間というポンポン船の旅です。このお祭りはブラジル国内でもまだ知られていなくて,去年からやっとマスコミに登場しだした次第。白牛さん・カプリショウゾチーム黒牛さん・ガランチードチームと2つしかありません。

 の2チームの勝利を巡り,村が真っ二つに分かれての「激突5万人の紅白牛合戦」です。
商業主義からかけ離れた,田舎の伝統音楽祭りっちゅーのはまぁ,なんちゅうアナーキーで狂気の素晴らしい盛り上がりであることか。
リオ,サルバドールも素晴らしいですが,パリンチンスはまた別の凄さがあり,タッタ5年間の滞在ではまだまだ計り知れない,ブラジル音楽の底力に感服した次第でありました。

  リンチンスという場所は戦後,アマゾンの日本人移民の拠点ともなった場所で,アマゾンから富を奪い去る欧州人と比べ,日本人はコショウ,アサなどの栽培でアマゾンに富をもたらした功績は今でも高く評価されています。しかし,パリンチンスはインディオやそのころ移住してきた欧州人やその混血などの人々で,私が見た限りでは一般の普通の人々は大変な貧困状態。
 家は一応あるけど,作りは粗末で家具らしいものもなく…。まぁテレビは普及しているようですが…。まわりがみんなそうだし,食べ物に困るほどの貧困でもなさそうなので,市民に暗い影は一切感じられず,治安も極めて良好。

 ーニバル期間は5万人近い観光客が訪れますが,パリンチンスにはまだホテルが3つしかありません。お湯が出るのは一つだけ。んじゃーどこに宿泊するのかってぇと,大小のポンポン船軍団が300近くパリンチンス沿岸を埋めつくし,ほとんどの客はハンモックだけでの宿泊です。暑いのでそれで十分。船から船をつたって猿のように人々が遊びに来るし,昼はアマゾン川で遊び,ビールを飲んで船の甲板で踊りまくり,夕方から朝までカーニバル会場(このビルも何もないド田舎に,いきなり照明完備3万5千人収容鉄筋コンクリートの大変りっぱな会場があり異様!)で騒ぐ。という日々でした。

 の期間はヤノマミインディオの人々が生活費稼ぎに,民芸品を売りにたくさん森から出てきています。まぁイベントの主人公が牛なので,あらゆる所に各チームごとの牛グッズが販売されています。
牛Tシャツ,牛帽子,牛イヤリング,牛パンツ,牛座布団,牛バッグ,牛,牛だらけ。
 インスタント牛入れ墨もあったぞ。

 しはアマゾン川のお魚だ。亀も食べた。うまかった。野菜がほとんどないのがつらかったけど,パリンチンスは小島なので飲料水やビール,氷などすべてポンポン船で運び入れるため,一時島中のコーラとビールがなくなりかけることにもなったりしてすごかった。したがってコーラなどは高い。100円だ。150円で焼き肉とスパゲッティとごはんが食べられるっちゅーのに。

 のカーニバルでは1チームが1万人ぐらい出る。打楽器隊だけで700人ぐらいいるそうだ。テーマは毎年「インディオと自然」インディオもたくさん出てくるし,モチーフもインディオや森,動物,自然,暴力的な文明を批判する山車がでてきたりと,一貫した物語となっていて,1チーム約3時間のアマゾンの壮大なオペラといっても良いだろう。応援席もしたがってこの2チームに分かれていて,どっちかに入らなければいけない。
 花火や畑,レーザー光線もビンビンで応援席も立ったり座ったり,拍手でリズムをきざみ,手のひらをヒラヒラさせたり,ピョンピョン飛んだりとけっこうやることがたくさんあって,参加するカーニバルなのである。体力のカーニバルなのである。

ラジル全般にカーニバルは 体力 体力 体力の勝負だ。 夜の2時になったらもう帰りたいなんて許されないのだよ。その後アマゾンやブラジル内陸部をブラブラしました。もうCD買いまくり。サンパウロでは絶対手に入らない,BOIのCDやベレンのMPB?など,まだまだ凄い人たちがたくさんいるもんです。

  近藤恵ちゃんのお友達で,ブラジルで仕事しながら音楽活動をしているミドリさんという方のけいちゃんあての私信なのですが,あまりに面白いのでけいちゃんの許可により転載させていただきました。 5年間滞在中で,一時的に失業した期間のレポートだそうです。(現在はまたお勤めです)。連載してもらいたいくらい面白いですよね。


過去のイベントレポート

1996年

96年8月24日おっきいさんの浅草サンバカーニバルレポート!
オンシーズン旅芸人日記
1995年

95年11月19日大エンコントロ開催レポート