2000/6月  第15回   
浅草20回記念インタビュー・その4
★大躍進の立役者、カルナヴァレスコREX氏

キソチシキ★ハイニャ・ダ・バテリア(打楽器隊の女王)

いや、暑い。梅雨、そしてもう夏ですね。びっくりです。こないだまで寒かったのに。そしてついこないだリオでカルナヴァルがあったと思ったのに、なんでだ?? 夏が来たら、浅草ももうすぐ! 皆さま 心と身体の準備はよろしいですか?

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引き続き【浅草20周年特別企画】

○vo4. Liberdade大躍進! 第16〜19回頃まで○

浅草16〜19回目といえば1996〜1999年。去年まで、ですね。ここらへんになると記憶に新しい方も多いことでしょう。 そういう私も"ギリシャ神話"の1998年、妖精アーラで浅草デビューしたうちのひとりです。 えっ?!もう10年ぐらい居るかと思った? ・・・よく言われるんですよねぇ、なんでかしら。 さて今回話を聞いたのは、今年の浅草準備チーム美術監督、天才デザイナーREX氏です。それまでどうやっても3位になれなかったリベルダーヂを、いきなり準優勝('96年)へと導いた人のひとりでもあります。

←予備校生に間違えられたこともあるがもう40代なのだ!年齢不詳化け物のひとりREX氏(REXとはT−REXから来たあだ名。凶暴そうな?爬虫類顔なんだもん)*以上余計なひとことbyおおゆみこ

<動機は不純?!>

ひさぎ:リベヂでデザインをやるようになったきっかけというのは何だったんですか?
REX:それがさ、突然思いついたんだよね〜。
ひさぎ:もともとそういう、服飾関係の学校に行ってたとか仕事してたとかじゃないの?
REX:高校3年のときにね、周りの連中がみんな受験とかで部活を辞めるなか、俺は3年になってから美術部に入ったの。理由っていうのがさ、女子が多くて合宿とか楽しそうだったから。(笑)
ひさぎ:けっこう動機は不純?(笑)
REX:不純不純(笑)。でも、 これで人生変った。 で京都から東京に出て来て 「なんて楽しいところなんだろう、 よし、住もう」と思ってバイト 探して。デザイン事務所でね、 グラフィックデザインをやってた。 そのあとちゃんと就職もしたんだぞ。 サラリーマン(出版社)10年やった。
ひさぎ:REXがサラリーマン・・・。想像できない・・・。 じゃあデザイン関係はやってたけど平面だった?
REX:そう、平面。服なんて考えたこともなかった。
ひさぎ:10年っていうと、リベヂに入ったときはまだサラリーマンだったんだよね。リベヂに入ったきっかけは?
REX:リベヂに入って1年ぐらいして、その会社は潰れたけどね(笑)。サラリーマンだった会社の取引先(製版所)の兄ちゃんが草サッカーやってて、俺も入ってたのね。そこにリベヂに知り合いがいるやつがいたの。その頃Jリーグが出来たばっかりで、リベヂも営業でサポーターやってて。「タダで試合見られるぞ」って言うんで、それに釣られて入った。
ひさぎ:またもや動機は不純?(笑)
REX:そう、不純(笑)。でも入ってすぐそのサポーターの話がなくなって。考えてみれば、俺、結局1回もタダで試合見てないんだよなぁ。騙されたよ(笑)。

<黄金伝説で華麗にデビュー?>

ひさぎ:そうして騙されて入った(笑)リベヂで、黄金伝説の年(96年)からデザイン隊長をやるようになった?
REX:そうだな。黄金伝説の前の年(95年)、バテリア衣装の頭の"ワニ"を作ったんだよな。それがきっ かけといえばきっかけかな。で、それが終わって。「来年テーマ何にすっかなぁ」なんて話をしてるときに「ずっと"黄金伝説エルドラド"」やりたかったんだよね」って言ったやつがいて。(註:こゆみこさん)それ聞いた瞬間、突然、それまで考えたこともなかったのに、デザインがアレゴリアからバテリアから、全部まとめて降ってきた。
ひさぎ:いきなり?!それは凄いね!…で、「来年は俺がやるぞ!」って言ったの?
REX:そうだな。会議の時に、「俺が考えるから」って言って・・・。アレゴリアの模型だけ作って持って行ったのかな。で、「いいんじゃない」って言ってもらって。それでやった。
ひさぎ:それまで実績とかなかったわけじゃない?反応はどうだった?
REX:「とりあえず考えたやつがいるんなら、やらせてみよう」って感じだったな。
ひさぎ:そうか。それは今と変わらないね。 ところで、そのころ(96年前後)のリベヂってどんな感じだったんですか。
REX:96年からけっこう変わったんだよ。95年までは、いろいろな意味で"テキトー"な部分が多かった。とにかく人数が少ないから、とにかくもっと増やさないと!って感じでかき集めて。アーラなんか特に、当日じゃないとどういう人が来るのかわからなかった。浅草の当日になって「間に合ったから」って、急に参加した某団体があったり(笑)。96年はバテリア で浅草出たのが50数人。ダンサーも40人くらいかな。(ひさぎ:そんなにいたの?!今と変わらないじゃん!)いや、数字だけ聞くと多いようだけど、固定メンバーじゃないからね。アーラなんかは、ほとんどの人間がその年限りだったし。そういう意味では、やっぱり今の方が規模は大きいよ。
ひさぎ:じゃあ、96年から、そういう形を変えようとしたの?
REX:当時は、バルバロスとサウージとウニアンが圧倒的に3強で、上位3位争いをしてた。3位と4位の間には、かなりの差があったんだよ。
ひさぎ:深くて大きな溝があった?(笑)
REX:ああ、あったねぇ。超せない溝が。 で、96年に、どうしてもいっぺん3位になってみたい、っていうんで、みんなでどうすればいいか考え始めた。もう今までみたいにごちゃごちゃになって、 当日まで誰が来るかわかんないなんて状態だったら絶対勝てないだろう、っていうんで。それで、コンパクトに統一感もたせてまとめた方いい、ってことになったんだよ。96年からちゃんとしたコミサンも出来てね。(註:金のコミサン。今だによくポスターなどにも写真が使われている)コミサンらしく、きちんと動きを決めてやったのは、この年が始めてだったんだよね。それまではけっこう色モノ的な感じもあって。ウケければいいっていうか。
ひさぎ:それで考えて、工夫して、で、3位飛び越えていきなり2位になっちゃったのか。嬉しかったでしょう?
REX:そりゃもう!!大騒ぎだよ。あれは、一生のうちで一番嬉しかったかもしれない。

<今は過渡期かもしれないけど・・>

ひさぎ:去年や今年は、REXは自分の意見をあまり出さなかったよね、それは何か理由があってのこと?
REX:いつまでも俺がやっててもしょうがないじゃない?もっと新しい人に出てきて頑張って欲しいし。そのためには、今年みたいに相談に乗る形で参加するのが一番いいと思ってるんだけどな。
ひさぎ:そうだね。結果として、去年からそういうスタッフも増えたもんね・・・。じゃあ、こいうやってリベヂが変わってきて、何か残念に思うことはありますか?
REX:原始的な馬鹿馬鹿しいエネルギーや勢いがなくなったことぐらいかな。でもそれは"残念"っていうよりも、"寂しい"に近いかな。一見ちょっと勢いがなくなったように見えるけど、これは今後プラスになっていく過程なんだよね。去年あたりから、いろんな人がいろんなことをやりだしただろ。最初はうまくいかなくて当然なんだよ。でも、今後まとまっていけば、絶対にいい物できてくる。
ひさぎ:それにはどうすればいいのかなぁ。
REX:いろいろあるけど、まず大事なのは、ひとりひとりが全体のことを考えながら自分の持ち場をしっかりやることかな。今はまだ、自分の持ち場だけで精一杯でしょ。それを無理してまとめようとしても、うまくいかないからな。自然な流れで、全体のことを考えられるようになってくるから。そうしたら、凄いぞ。
ひさぎ:じゃあ最後に。リベヂには、今後どうなっていって欲しいですか?
REX:浅草のパレードも、バテリアの演奏と同じなんだよね。バテリアは各々自分のやってる楽器は違うけど、全体で、ひとつのサンバのノリを作り出そうとしているだろ。それぞれが全体のこと考えて、大きな流れを意識して演奏したときにいいグルーヴが生まれる。物を作るのも同じなんだよ。それぞれの担当でそれぞれ作る物は違うけど、自分の手許の細かいことにだけこだわるんじゃなしに、もっと大きな印象を考えながら作っていく、っていう点では同じ。やっぱりヴィジュアル(見た目)にも全体のグルーヴがあるからな。
ひさぎ:そういうグルーヴは、どうやって出すの?
REX:それもバテリアと同じだな。練習しかない。製作物は演奏の練習とちがって、何度も作り直すことはできないけど、それでも毎年やっていって、それを練習として積み重ねていくしかない。

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REX氏ったら、ちゃんと聞くといいこと言うよなぁ。 どうもありがとうございました!

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1996〜1999年までのリベヂのENREDO(テーマ)です。 参考にしてください。 ○1996年 エルドラド 黄金郷 ○1997年 サンバのルーツ アフリカ ○1998年 ギリシャ神話 ○1999年 古代よりの生命を讚える ▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲▽▲

☆rainha da bateria☆

さて。ブラジルの、それもリオやサンパウロなどサンバ(サンバでないカルナヴァルもあるんですよ〜)のカルナヴァルには"rainha da bateria"(ハイーニャ・ダ・バテリア)というポジションがあります。 直訳すると"バテリアの女王"。でも、バテリアメンバーの中から選ばれるわけではありません。それはパシスタから選ばれます。もともとが、3000〜4000人のパレードの中でほんの数人しかいないパシスタです。その中でさらに、たったひとりの女王を決めるのですから、いかに狭き門かわかりますよね。ポルタバンデイラやメストレサラなどとともに名誉なポジションとされています。各エスコーラでは、他のエスコーラ関係者を招いてお披露目会をし、された側もああだこうだと批評をするそうです。 リオやサンパウロのパレードをビデオで見た方は、見覚えがあるかもしれません。バテリアの真ん前でひときわ美しい衣装のダンサーがタスキをかけて踊っていませんでしたか?あれがそうです。もしかしたら、2〜3人いたかもしれません。でもrainha da bateriaはただひとり。あとは、なんとかの「王女」「母」です。(もちろん、やはり名誉職ではあります。) rainha da bateriaも元々は、その名の通りバテリアたちが選ぶものであり、バテリアが踊らせたいと思う素晴らしいダンサーが選ばれたのでしょうが、商業化が進んでしまったリオでは、モデルや芸能人がその役を担うことも少なくないようです。中にはまったく踊れない人もいるらしいんですよねぇ。 ところで。リベヂで最近「rainha da bateriaを決めたい!」という声があったんですよ。それは今年のパシスタではないダンサーの中から出た声でした。先日さっそく会議で検討したのですが、意見は割れました。「時期時期尚早ではないか」「別にいいんじゃないの」「そういうのは良くない」等など・・・。 みなさんどうでしょう?リベヂに"rainha da bateria"が必要か、そうじゃないか。または、いてもいいかどうか。考えてみてくださいね〜。

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