Sambas de Enredoがいよいよ完成しました!やったー!! 最近入った方へ§「それ何?」っていう方もいますよね。早い話がパレードのテーマ曲です。ダンサーもバテリアも、みーんながその曲を覚えて歌いながらパレードするんです。
ブラジルでも浅草でも、毎年各チームがテーマ(Enredo)を表現する曲を作ります。それがテーマ曲=Sambas de Enredo=テーマのサンバ です。
このコーナーの最後で案内しているコンテストは、それの人気投票です。 ひとくちにブラジル音楽って言っても種類が「ええっ」っていうぐらいたくさんあるし、サンバにだっていろんなサンバがあります。リベヂにも、いろんな音楽を好きな人がいます。でも、Escolas
de Samba(サンバチーム)でやるのはエンヘードなんだからー。もっと聴こうよー、みんなー!!ロックバンドやるのにロック聞かない人はいないじゃーーん。それだし、もっとブラジルのエスコーラのことも知ろうよーー!
・・・と、騒いでいるのが、このコーナーなんすよ。今後もよろしくお願いします。
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前回から引き続きの【浅草20周年特別企画】
○vo3. Liberdade誕生! 11〜15回頃まで○
浅草第11〜15回目といえば1991〜1995年。バブルの絶頂から崩壊へと、日本は激動の時代でしたね。いやぁ、あの頃はねぇ。・・・え?ゴリはその頃学生だったから関係なかったって?くっそー。え?ジョバンニは中学生?!・・・・(;
;)・・・えー。気を取り直しまして。 Liberdade誕生と言えば!我らがプレジデンチにお話をうかがわないわけにはいかないでしょう!
ちょこっと木皿儀さんにインタビューしてみました。話が止まったら、さっさとどこかへ行ってしまいそうで妙に緊張しました。(以下 敬称略)
ひさぎ:リベヂが出来たのはいつですか?
木皿儀:1991年のね、3月だったと思う。
ひさぎ:最初は何人くらいいたんですか?
木皿儀:よくおぼえてないけど、増えたなと思ったときに30人くらいだったかな。
ひさぎ:バテリアとダンサーとの比率は?
木皿儀:うーーん。半々ぐらいかな。
ひさぎ:渋谷とかで練習してたんですよね。
木皿儀:渋谷と・・・、あと、桜台のヤマハでよくやってましたね。
ひさぎ:音楽スタジオですか?
木皿儀:そう。
ひさぎ:バテリアとダンサーは一緒にやってたんですか?
木皿儀:ダンサーはなんか別にもやってたような気がするけど。
ひさぎ:浅草はいつから出たんですか?
木皿儀:1991年です。
ひさぎ:最初の年から出たんですか?!すごいなー。
木皿儀:「ダンス賞」を貰ったんですよ。まぁ象印賞みたいなもんだけど。(笑)
ひさぎ:そのときのテーマは何だったんですか。
木皿儀:テーマはね、まだなかったの。歌もないし、バツカーダだけ。
ひさぎ:その頃ってどんな感じだったんですか?
木皿儀:同好会って感じだったですからねぇ。好きな人たちが、ただ叩ければいいや、って感じで集まって。それで人数少ないから、あちこちに声かけて、仲間が増えていって。
ひさぎ:エスコーラっぽくなってきたのはいつ頃でしたか?
木皿儀:黄金郷(註:96年)の年あたりかな。山車を出すようになってからですよ。それまで車に飾り付け、だったから。
ひさぎ:じゃあ、盛り上がった・・・?
木皿儀:盛り上がりましたねぇ!リベヂはね、どうしても3位になれなくて。圏外か4位5位だったんですよ。それで、じゃあ山車作るか、っていうんで作ったら、いきなり2位になっちゃった。(笑)
ひさぎ:じゃあ、山車とか衣装とか、共通の、みんなが一緒にやるようなことが出来てからエスコーラらしくなってきたんですか。
木皿儀:うん、そうですね。
ひさぎ:では、その頃から比べて、今はなくなってしまって残念に思うことってありますか?
木皿儀:特にないですね。
ひさぎ:では逆に、比べて今が良くなったと思うことは何ですか?
木皿儀:いろんなことが出来る人が増えてきたことですね。昔はなんでもかんでもひとりでやんなきゃいけないようだったから。でも今は、いろんなことが得意な人がいてやってるでしょ、ずいぶん仕事も楽になりましたよ。
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木皿儀さん、どうもありがとうございました! さて、その頃、他のメンバーはどうしていたんでしょう。なぜだか匿名を希望(笑)された、当時からのメンバーのひとりに、お話をうかがいました。
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ひさぎ:出場された年度と、当時所属(参加)していたチームを教えてください。
謎の人:1991年から、全部リベルダーヂ!純粋培養と言ってくれ.
ひさぎ:総人数、バテリアとダンサーの比率、演奏の有無など、パレードの規模はどのくらいでした?
謎の人:91.92.93あたりはバテリアは30名、ダンサーも20名前後。ダンサー=ソロダンサーだった。 リベルダーヂが1回目から目を引いたのは全てのダンサーが羽根を背負っているソロダンサーという派手さでした。ポルタ・メストレは亀ちゃんと亀ちゃんの奥様でした。
ひさぎ:エンヘードはオリジナルでしたか?
謎の人:オリジナルだったと思う。最初の年はバツカーダのみだった。 私の印象では、高校野球の応援みたいに思ってた。 2年目が誕生1年目ということでハッピーバースディ、
3年目が海をテーマにしてアレゴリアに乗せる美女2人の内の1人をバイト先から調達したり、人魚の貸衣装を手配したりとリベルダーヂに関わりたい、と強く思い始めた頃でした。
ひさぎ:当時の浅草パレードで、憧れていたこと、かっこいいと思っていたことは何ですか?
謎の人:サウーヂやバルバロス、クルゼイロのタンガのおねーさま方が近寄りがたい雰囲気でギラギラしていてかっこよかった。今は見慣れてしまったのかもしれないけど。
92.93あたりのサウーヂの燃えあがり方はうらやましかった。 ウニアンも勢いがあり特に演奏が全体にぴたっと合っていたので憧れていた。
ひさぎ:当時の浅草パレードで特に印象に残っているEnredo、Sambas de Enredo、衣装、アレゴリアなどがあったら教えてください。
謎の人:バルバロスのアフリカをテーマにしたときのアフロアーラ。 リベルダーヂ以外の1部リーグチームが行っていた審査委員席前での演技はさすがに圧巻でした。
割とリベルダーヂはそういう演出が不得手かも。
ひさぎ:当時の浅草にあって今なくなってしまったこと(物)で、残念に思われることはありますか?それは何ですか?
謎の人:1.開始時間が早くなってしまったこと。 2.ダンスクイーンコンテスト 3.本場(?)ブラジルからの招待チームパレード
4.前日の浅草公会堂でのプレイベント←結局1度も行けずになくなった。あれ、なくなったんだっけな?つまんなくなったのかな。
ひさぎ:当時の浅草と比べ、良くなったと思われることはありますか?それは何ですか?
謎の人:カメラ親父対策と疲れ防止の意味で、境内でのながーい待ち時間&開会式全員出席の義務が無くなったことはいいことです。 しかもかつては着替え後チームで別途に休憩所を借りたりしていた。
ひさぎ:これからの浅草に期待すること(リベヂにではなく)は何ですか? 謎の人:地域の文化としてサンバをとらえて欲しい。1日だけでなく、当日をさらに盛り上がらせるために別の日に文化講座を設けるとか、商店街のBGMでサンバを流すとか、小学校の生徒にサンバを教えるとか。
そのためにチームとして協力することがあれば、 ダンス講座でもスルドの叩き方講座でも協力させて貰います。 −−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
匿名で謎の純粋培養リベヂ人さん、どうもありがとうございました。 さて、1991年から1995年までのリベヂのENREDO(テーマ)を載せておきます。参考にしてください。
1991年 (テーマなし)
1992年 誕生日=リベジ1周年
1993年 海の物語
1994年 天国と地獄
1995年 南方楽園トロピカルパラダイス
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