2000/3月  第12回   
Rio インペラトリス優勝!
浅草20回記念インタビュー・その1★阿部澄子さん

世界屈指の超グレートスーパーウルトラスペシャルダイナマイトブリリアントミレニアムなイベント、リオのカルナヴァルが終わってしまいました。祭りの後は、地球の裏側だって寂しい。
さて、終わったら気になるのは結果です。

リオのカーニバルの採点表はとりあえずこちら。たぶんブラジルのサイトへのリンクもあるけど
とりあえず・・・)

というわけで今年は、昨年に続きインペラトリスが連続優勝でした。
★IMPERATRIZ LEOPOLDINENSE=創立1956年 チームカラーは「緑、白」今年のテーマは「2月22日カブラル、ブラジル発見。それはカルナヴァルの2ヶ月後」★

今年の順位、1位から4位までは去年とまったく同じなんです、びっくり。そうなると特筆すべきは5位のチヂュッカ。去年はグルポAで出ていたのですから大躍進ですよね。同じく去年グルポAだったポルト・ダ・ペドラはまたA落ちだというのに。
A落ちといえば。昨年のインペリオ・セハーノに続き、今年はヴィラ・イザベルまでが。そしてポルテーラ!!!大丈夫か10位じゃないか心配だ、頑張って〜!!
それにしても全体的なこの高得点は何?ほんとに新春スターかくし芸大会みたい。500年祭のご祝儀かしら。優勝したインペラトリスなんて、299.5点。あと0.5点で300点満点!去年は269.5点で優勝ですが、今年だったら14位ですよ。う〜ん。
あと0.5点で満点だったと思うと気になるのが減点理由。減点されたのはポルタ&メストレなのですが、理由は何だったんでしょうね。(そして彼らは無事だったんだろうか・・・)
来年は絶対サプカイで見るぞ!と、去年と同じ誓いを胸に。   さぁ、浅草だ。

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今回から5回連続で【浅草20周年特別企画】です!
その最初を飾るのは、この方しかいないでしょう。
浅草サンバカーニバルは今年で20回目、なんとなんと過去19回そのすべてにダンサーとして出場した人が、リベヂには、いるのですよ。 へへへん(威張ってる)
今回はその阿部澄子さんにインタビューしました。

特別企画vol.1 旧き佳き頃 浅草初回〜4回頃まで

ひさぎ:今とはパレードする場所が違ったんですよね。
阿部さん (以下 敬称略):4回目までは1周したんですよ。今はL字にパレードするところをコの字に。
(ジョバンニ:裏まで?) ええ、裏まで。全部。
ひさぎ:1周どれくらいかかったんですか?
阿部:2時間くらいで・・・
ジョバ・ひさぎ:2時間!!! 2時間やりっ放し?!
ひさぎ:ビデオで見たんですが、浅草寺境内の方でも何かやってませんでしたか?
阿部:ええ、開会式と閉会式をやっていました。それとね、一番最初は、商店街の上の方に張出しがありますよね、あそこにステージがあって、審査員席や主賓席があって、その上に上がって見ていたの。
ひさぎ:最初はパレードはなかったんですか?
阿部:パレードはありました。1回目から。
ひさぎ:コの字型に廻って、プラス、ステージのショウがあったんですか?
阿部:2時間くらいやったかしら。パレードを夕方からやって、ステージは夜だったから、それまでずっと、延々と。
ジョバンニ・ひさぎ:うーん、凄いね。

ひさぎ:出場者は何組くらいだったんですか?
阿部:一番最初はね、登録は53組あったんだけど、実際に出たのはもっと少なかったと思うわよ。でもね、出るには5人いればよかったのよ。5人以上1組。だから20組30組って言ってもあっという間に終わっちゃうでしょ。
ひさぎ:やっぱり5人位のチームもあったんですか?
阿部:ええ。多いところで130人とかそれぐらいだったかしら。私が出たチームは、50人位いました。
ジョバ:阿部さんは最初はどこのチームで出たんですか?
阿部:上野パンダーズ。上野の観光連盟とアメ横商店街が一緒になって作ったチームだったの。
ひさぎ:パンダーズは、何回出場したんですか?
阿部:1回だけ・・・(苦笑)
ひさぎ:2回目からはどこで出たんですか?
阿部:2回目は碇谷さんたちと一緒に自分達でチームを作って30人位で出たの。”エスコラージ・サンバド・アサクサ”っていう名前でね。それから3回目と4回目が、新仲見世。

ジョバ:向こうの(リオの)スタイルを踏襲するとか、そういう変化についてはどうですか?
阿部:いやもう、最初は本当に普通のパレードだったわ。お客さんにこう(アピールする動作)するんじゃなくて、ちゃんと整列して行進する感じのパレードでした。4回目までは。どっちかって言うと、鼓笛隊みたいな感じのパレードだったの。
ジョバ:サンバっぽさっていう点では?
阿部:5回目くらいからかしら。みんなタンガ(註1)なんかを着るようになったのは。最初は手作りでね、羽根も背負ってなくて。プロだけだったんですよそういうのは。ブラジルから招ばれて来ているダンサーがみんな羽根背負ってましたけどね。あと、SKD(註2)なんかの人達も出たんですよ。そういう人達も羽根背負ってましたけど。普通の人はもう羽根なんかなくて。

ひさぎ:”賞”は最初からあったんですか?
阿部:ええ、大賞100万円。
ひさぎ:100万円?!最初から?
阿部:ええ、1回目から。
ひさぎ:じゃあ、5人くらいのグループでも100万円?
ジョバンニ:うわっ、すごい!それはすごいよね、今より!
阿部:でも5人くらいのグループは(大賞を)貰えなかったけど。
ジョバ・ひさぎ:(しゅんとなり)…そりゃそうですよね。
ジョバ:最初の大賞はどんなチームだったんですか?
阿部:MOAっていうチームだったの。200人って公称してたけど、100数十人かしら。黄金の女神(註3)をね、きちんと役を決めて筋書き通りに振り付けして。(ひさぎ註)そのダンスをジャズダンスのチームが請け負って。その筋書きを書いた紙をお客さんに配るわけですよ。こういう筋書きでやってますよ、って。(ここをクリックするとその実物が見られます!
ジョバンニ・ひさぎ: それ、今でもやりたいねー。
阿部:一時禁止になったんですけどね、また出来るようになったみたいだからやったらいいと思いますよ。

ひさぎ:浅草最初の年に、一般のみんなが参加したきっかけは何だったんですか。広告か何か?
阿部:テレビで。東京12チャンネルでね、「大賞100万円!誰でも参加出来ます!」ってやったの。練習風景を撮影してテレビで流したりしてね。
ひさぎ:みんなが、楽器の演奏を始めたのはいつ頃だったんですか?
阿部:最初から。でも自分達で演奏出来ないチームにはテーマ曲を流してくれて、それで出たの。”サンバブラジル(註4)”っていう曲があるじゃない? あれを”サンバDE浅草”とみんなで言っていて、それを流してもらってた。2回目からは、楽器やる人達も増えたわ。
ジョバンニ:第1回目って何年だったんですか?
阿部:1981年。今年20回目だがら。
ジョバ:サプカイ(註5)がまだなかった頃からやってたんだー、凄いなぁ。それでは、当時と今を比べて、良さがなくなったと思われることはありますか?
阿部:今よりももっとこう、おおらかな感じだったわね。でも、それは世の中の流れもあるから。それよりも、今の方が、みんなが入り易くてよくなったかもしれない。昔はもっと入りにくかったのよ、エスコーラもなかったし。それが今は自由に参加できますものね。

ひさぎ:では最後に。これからの浅草に期待することは何ですか?
阿部:リオのサプカイのように、盛んになることを願っています。
ジョバ・ひさぎ:今日はどうもありがとうございました!
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註1:タンガ=ビキニスタイルでTバック、
一般にイメージされる[サンバダンサーの衣装]
註2:SKD=松竹歌劇団の略。ここ出身の女優も多い。
註3:黄金の女神=ブラジルの曲「NO REINO DA MA~E DO OURO」の邦題。
註4:サンバブラジル=ディズニー映画でも使用された超有名曲「ブラジルの水彩画(アクアレイラドブラジル)」
註5:サプカイ=リオのカーニバルの会場となる通り。 1983年までは違う場所でやっていた。
ひさぎ註:資料見ましたが、びっくりです。コミサンからポルタ&メストレ、バイアーナまであり、すべてのアーラにちゃんと意味がある!20年前の日本ですよ!!是非ビデオが見たい。

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