2000/4月  第13回   
浅草20回記念インタビュー・その2★5〜10回出場者

キソチシキ・チームの旗とチームカラー

「爆発!!行け!我らの素晴らしきリベルダーヂ」 第13回      by ひさぎ

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前回から引き続きの【浅草20周年特別企画】
vo2 バブル華やかりし頃 5〜10回頃まで
 浅草第5〜10回目頃といえば、1985〜1990年。
昭和から平成に変わり、バブルの絶頂。経済の凄まじい変動につれ、流行が激動した時代です。(ワタクシは当時も踊ってましたよ!今ではとてもお見せできない服装で@恥) その頃の”浅草サンバカーニバル”ってどんなだったのか?”とても興味深いところでございます。
今回は、当時を知る4人の方に質問をしてみました。敬称は略させていただきました。(緊張して手が震えたけど) お答えに多少違いがあるのは、出場された年度やチームの違いによるものと思ってください。

《質問1:パレードする場所は、どこだったのでしょうか?》
*皆さん同じお答。今と同じだったようです。

《質問2:参加は何組くらいあったんですか?》
金沢:企業参加が最近減っていますが、その分くらい多かったように思います。

*日本経済の浮沈を象徴していますね・・・。
他の方々は、今とそう変わらないのではないか?とのことでした。やっぱりそういうことは記憶に薄いようですね。もし私が10年後同じことを質問されても、同じリーグのことしか記憶にないだろうしなぁ。

《質問3:出場された年度と、当時所属(参加)していたチームを教えてください。》
金沢:1989〜90年 クルゼイロ・ド・スウル
亀井:1985〜90年 クルゼイロ・ド・スウル
塩野:1987〜90年 クルゼイロ・ド・スウル
森 :1984〜90年 エスコーラ・ジ・サンバ・イパネマ
松本C:1986〜90年 エスコーラ・ジ・サンバ・イパネマ

《質問3−2:その規模はどのくらいでしたか?》
金沢:バテリア40人くらい、ダンサーはわかりませんが、Tシャツ隊がとにかくたくさんいて、全体では150〜200人くらいはいたと思います。オリジナルのエンヘードを演奏していました。
亀井:今のリベルダージと同じくらいの規模と比率でした。
塩野:バテリア40人、ダンサー40人、当日参加者40人。ぐらいだったような気がする
森:総人数 30〜40人?初期の頃はバテリアがなかったか数人くらいだったし、バツカーダだけだった。
松本C:総数40人位だと思います。比率も同じくらい。バツカーダの演奏が有りました。

*私は勝手にもっと小規模だったと思っていましたので、少々びっくり。

《質問3−3:リオのスタイルを踏襲しようとしていましたか?》
金沢:多少はしてましたが、山車は当日PA車を飾りつけるだけだし、それでも2年続けて準優勝です。今のほうが進んでいます。
亀井:勿論、踏襲しようとしていました。
塩野:浅草実行委員会は、あまりスタイルにこだわっていなかったように思う。クルゼイロは、こだわる面があると同時に、逆にオリジナリティーを出そうとする面があったような印象を私は持っている。
森:人数が足りなかったので、リオのスタイルは踏襲できなかった。
松本C:そこまで考えるレベルではなっかたが、イパネマの衣装はブラジルのものでしたので、本場ものの外見でした。

*リオのスタイルを踏襲したいと思いつつ、なかなか実現できないでいる。思いは今と同じなのですね!

《質問4:サンバクィーンコンテストについてどう思っていましたか?》
亀井:最初の頃には、ダンスの上手な人が受賞していましたが、後に美人コンテストの様になり興味も薄れてしまいました。
松本C:その頃、ちゃんと踊れて上手な人が選ばれれば続いていたのに。今ほどサンバ人口が多くなかったので、出る人もいなかったりして。うまくて、見せる踊りを踊れる人を見たかったですねぇ。・・・・・初期は上手でした。

*皆さんほぼ同じ感想をお持ちだったようです。
リベヂの誇る某女性ダンサーも以前「踊りがうまくなったら出ようと思っていたのに、その前になくなってしまった」と言っていました。
今実施したら、やっぱり単なるミスコンになっちゃうかな?そうならないようにして復活して欲しいような気もします。ブラジルでそうであるように、同じチームからの出場者を応援してみたいな。

《質問5:当時の浅草にあって今なくなってしまったこと(物)で、残念に思われることはありますか?(それは何ですか?)》
金沢:夜のパレードだったこと。全チーム参加の打ち上げ。
亀井:出場者の為の打ち上げパーティーです(確か実行委員会が主催だったと思う)。10時か11時頃までビールをがんがん飲ませてもらって、朝までコースの2次会に行っていました。
塩野:特に思いつかない。
森:出場チームが浅草寺の境内に集まって、みんなでガンガンたたいて踊ったこと。パレードに出て行く前に皆できあがっていた。
松本C:前夜祭を公会堂でやって、入場はタダだったと思う。チラシを持ってけば入れたかなー。すごく盛り上がった記憶があります。

*私はこれが一番びっくりでした。っていうか、羨ましいよーー。 そんなことやってたんだ、知らなかった。これは復活させて欲しいぞ!!

《質問6:当時の浅草と比べ、良くなったと思われることはありますか?(それは何ですか?)》
金沢:リベルダージがあること。これが一番。(*さすが酔ってない金沢氏っ!)
そして、どのチームも進歩していること。特に山車と、バテリアの規模が大きいチームがあること、ウニアンのダンサーが増えていること、オリジナルのエンヘードがあたりまえになっていることが目立ちます。
塩野:浅草実行委員会の運営がいくらかましになってきたような気がする。
森:見物人が多くなったことと、見ているお客さんがのって来ていること。
亀井:やはり大きなサンバチームのブラジルへの踏襲度です。年々アレゴリアも立派になり、バテリア、ダンサー、エンヘードも断然レベルアップしていると思います。
松本C:終わった時、氷水をくれること。時間厳守になってきたこと。大きな着替え部屋があること。出場するまでの時間のロスが少なくなったこと。審査の点数が公表されること。集合部屋が広くなり、各チームも多少のゆとりがあるかな?(開会式が全員出席でなくなったことや、そこからの出発でなくなったことも含めて。)

《質問7:これからの浅草に期待すること(リベヂにではなく)は何ですか?》
金沢:サンバ好きが、さらにエネルギーを爆発できる環境になるといいですね。
森:実行委員会に対しては、もっとサンバチームの意見を良く聞いて欲しいと思います。
サンバカーニバルについては、もっと盛大になればいいなと思っています。(*気分的には新宿サンバカーニバルを再開してほしいとも願っています、とのことでした。)
塩野:浅草実行委員会への要望として。 
   *運営や採点の方法をリオに近づけようとしすぎると、無理や不快が発生する。程々にまねするのがよいと思う。
   *1部リーグの団体数を増やすべきである。5チームしかないのに2部落ち制度を導入するのは不適切と思う。
   *1部リーグに参加するアマチュア団体(スポンサーがいない団体)には、何らかの形で補助金を出してほしいと思う。
亀井:ブラジルみたいに、朝までカルナバルをしたいです。パレードを各チーム2時間くらいにして、その後はリオのスカラやカネコーンの様なノリで好きかってに遊ぶとかあるといいなと、思います。
松本C:審査は外で見て聞いてほしいが、特別な審査員席は設けないで。審査発表にもっと大勢入れるようにしてほしい。控え部屋に鏡をもっとほしい。審査員の人選を考えてほしい。賞金金額について、1位と2位の差がありすぎると思うので。を見直してほしい。

*ご協力、どうもありがとうございました!!

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*リーダー木皿儀さんから、1988年第8回の資料をお借りしました。昨年度の優勝エスコーラとサンバクィーン紹介に始まり、衣装やメイクについてや、サンバの聴けるライブハウス紹介、楽器紹介、写真の撮られ方まで!わたし的に素晴らしいと思うのは、サンバの歴史〜本場リオのサンバ事情〜が載っていることです。長い期間のことを、とても簡潔にわかりやすくまとめてあるんです。こういうのがあると、一般の観客にもサンバパレードのことがわかりやすくていいですね。
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【チームの旗とチームカラー】
今回、リベルダーヂでもチームカラーを決めることになりました!めでたい!!
「えっ?!今までなかったの?」そうなんですよぉ。
皆さんそれぞれに「この色かな?」と思っていたようですが、曖昧でした。今回正式に決まります。同時に旗も新調します。もちろん、チームカラーで!
ブラジルのエスコーラ(サンバチーム)では、旗はとても重要な存在。ポルタバンデイラ(旗を持って踊る女性)が落としたりしたら、そりゃあ大変なことになるらしいっす。
チームカラーもそのエスコーラを象徴しています。ミスタードーナツに入るたびにスタッフの制服配色(最近は違うらしいが)に反応し「グランジヒオの人だ!」と叫ぶG氏は特別として、チームカラーはごく自然にそのエスコーラを連想させるものです。JR高円寺駅前にあるビジネスホテル屋上の照明はピンクと緑、それを見て「マンゲイラだ」と心の中で思っていた人は、聞いてみたらかなりいました。(#日本の某Baseball teamとSAO CLEMENTEは同じ色でしかも「弱い?」という共通項あり・・・わー、すみません!)
ブラジルのエスコーラが雑誌で紹介されるとき、歴史やリーダー等の名前と並んでチームカラーも載っています。カーニバルのパレードにおいて、ポルタ&メストレの衣装はもちろん、バテリアやアーラの衣装やアレゴリアに多く使っていますので、ご贔屓のエスコーラを色で識別することもできるんですよね。(同じ色をチームカラーとするエスコーラも複数存在しますが)それに、観光客向けに売られるエスコーラグッズもチームカラー、スタッフの服もすべてチームカラーです。
チームカラーと旗には、エスコーラへの帰属意識と誇りが集約されているのですね!見る者を感動させるパレードの統一感も、その年テーマを表現した色使いとチームカラーとが融合した美しさがあるからなのだと思います。
ちなみにごぞんじブラジル国旗の黄色と緑もパレードでは多く使われていますが、その意味は[緑(豊かな自然)・黄色(黄金に象徴される富)]だということです。
リベヂも!! リベルダーヂってどんなイメージでしょう?「#*色といったらリベヂ・リベヂといったら#*色」そう思えるような、リベヂにぴったり合った色を選びましょう!
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