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サンバ化日記
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おーゆみこの サンバ化日記    2004年8月号    ■□■最新号■□■ illust image
〜「つら汚し」に一生懸命〜

●入谷での制作作業には毎週たくさんの人が来て、切ったり貼ったり縫ったり付けたり組み立てたり削ったり塗ったり汚したり(?)している。今年の作業参加延べ人数はおそらくリベジ史上最高になるものと予想され、実に喜ばしいことである。たくさん人が来れば、より楽しい→楽しければますます人が来る→ますます楽しい。という好循環に入り、しかもおかげで作品も立派になり、立派な作品を見ればますますやる気になる、というさらなる好循環が生まれている。

●今年のメイン造形物であるピラミッドも、「縁起がいい」。リベジが「定位置」4位からいきなり3位をすっとばして2位に躍進、悲願だった「入賞」を果たしてなおお釣りがあった96年の浅草でも、同じタイプの(三角錐型のアフリカ型ではなく階段状になったマヤやインカの南米タイプ)ピラミッドをひっさげてパレードに臨んだのだった。 このときのテーマは「黄金伝説」だったので、ピラミッドも金のエンボス加工のフィルムを全面に貼ったキンピカのものだった。今年のものよりはかなり小振りのピラミッドだが、キンピカのインパクトは強く、このころいつも作業していた三ノ輪のアジト(木皿儀家が借りていた仕事用の事務所を占拠していたのだった)をいつも通りかかって作業を眺めていたらしいオジサンに 「浅草見たよー。あんたらのところの、キンピカですごかったよお」 と、後かたづけしているときに声をかけられたものである。

●今年のは同じ形のピラミッドでも、より大きく、そしてより「リアル」を追求して色も石の色、それも時間が経って古びて汚れたりムラになっている色を再現しようとしている。 なんでもキンピカがエライ!と思っている木皿儀プレジデンチは、ちょっと不満なようだが。やっぱりキンピカがいいのになあ・・・と時々つぶやいているが誰も聞いてくれない。

●地の色を塗り終わり、さてこれからよりリアルにするための「汚し」作業に入りましょう、というときたまたまその場にいた(一番冷房が効いている場所だったので、という理由のみ)おーゆみこは、そのまま「汚し」作業に取り込まれ、気がつくと無我夢中。自分でも呆れるほどに燃えてしまった。いかにしたらリアルなムラや汚れが出るか。ピラミッドは四角い石を積んでいるわけだが、モデルとなった写真を見るとそれぞれの石材の色目も微妙に違ったりしているし。そんなことを考えながら試行錯誤し、やってみると発泡スチロールのはずの素材が見事に石に見えてくるようになるのが面白く、すっかりハマる。 いつのまにやら「おーゆみこさんは汚し役(汚れ役、ではない)」ということになってしまい、なにやら「責任」めいたものまで勝手に感じ始め、そのため毎回ほとんど欠かさず作業に行くようになってしまった(とはいえ毎回おもいきり重役出勤でしたが)。 作業場に行くなりペンキのバケツ片手に、もう片方の手にはまるめたキッチンペーパーを持って、薄く塗ったペンキをトントンたたいてムラにしていく作業に没頭。
「おーゆみさんは、いつ見ても汚してる・・・」
とK平に言われ、MYKちゃんがアップする写真のキャプションにも
「この人はこのあとずーっと汚してました」
と書かれ・・・。
・・・・・なんか人聞きが悪いんですけど。

石像の顔の部分をトントンしていたときには、木皿儀プレジテンチに
「リベルダージのツラ汚し」
とまで言われてしまいましたわさ。

●でも、道を歩いていても、古そうなブロック塀など見ると、「汚れ具合」を研究するくせまでついてしまったよ。溝や割れ目の下の部分は雨が染みて垂れたように黒っぽくなるんだ、とか、研究成果はしっかり作業に活かしましたぜ。だから石像は「泣き」、ついでにヨダレまで垂らしているんである。

●告白すれば、今年はいまいちやる気がなく、個人的には作業もできるだけサボるつもりだったのである。ま、バーサンはそろそろ隠居かな・・・てなもんで。ところが俄然燃えてしまって結局かなり参加してしまった。
「自分の役割がきっちりある」
ってのが嬉しかったのである(・・と書くとますます隠居寸前の老人のようでもあるが・・)。

●最近、なにかにつけ、「人間なんであれ一生懸命やれば楽しい」というコンセプトが頭に浮かぶ。 逆のようにも聞こえる。楽しいから一生懸命やる、んでしょ? しかし、ここは実はとても大事なことなのだが、楽しいから一生懸命やる、のは「あたりまえ」なのだ。「楽しい」ことがある人は、だからそれを追求すればよい。それはいい循環にはまっていい結果を出す。 だが、「別に楽しくない」けれど「やらなければならない」ことも人にはたくさんあるだろう。そういうとき、嫌々やるのでは楽しくなれない。つまらないことでも一生懸命やることで楽しさが生まれる。 一生懸命やると、根幹部分に食い込んでいく、というのもある。なんのためにそれをやっているのかがはっきり分かる部分に食い込んでいけるのだ。だからやっている手応えをより感じられるようになる。 一生懸命やっている人は「必要とされる」というのもある。人間、なんであれ自分が必要とされている、という感覚が欲しいものだ。 そうやって「一生懸命やる」ことのモチベーションも生まれてきて、ますます一生懸命やり、ますます楽しくなる。決して、はじめから「楽しいからやる」ばかりではないのである。

●が、逆に言えば、「楽しくないことはしちゃいけない」ぐらいまで最近は思っている。ただし、上記のことをふまえた上でのセリフである。つまらないこと、やらなきゃならないことを、とにかく一度一生懸命やってみる。それでも楽しくならなかったら、それはその人のやるべきことではないのだ。別のことを見つけた方がいい。仕事だって同じだ。一生懸命やってみても楽しくないなら、または、どうしても一生懸命やる気になれないなら、辞めたほうがいい(または一時的にでも離れてみた方がいい)。乱暴だが、きっとそうなのだ。中途半端にやっているのは、その人のためにも、周りの人々のためにもいいことはない。

●・・・たかが「汚し役」に燃えたくらいでなにをエラソーに・・・・。 だが、実を言えば「汚し役」の件は今の私にとって象徴的なことで、「一事が万事」と思える。「なんであれ一生懸命やってみる」という教訓は、あらゆるところで活きる、ことをいま私は発見しつつあるのである。

縁起のいいピラミッドのジンクスが今年も活きるといいな。みんなほんとに「一生懸命」やっているものね! (そして来年はシマウマか?)

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