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1999年5月号 |
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〜ドタンバな人々〜 |
●自慢話のようで恐縮だが、一応仕事が英語屋なので、合格率は5%程度で、英語資格試験の中では最難関のひとつであり、英語に関わる唯一の国家資格であるという「通訳案内業」ライセンスを持っている。
●実を言えば大学を卒業した時点では英語なんか全然しゃべれず(新卒で就職した会社でたまたま英語の電話をとってしまって「ガ、ガイジンだ、だ、誰か〜〜ぁぁぁぁ」と叫んでしまった 恥 な過去を持つ )これではいか〜〜ん!と一念発起、「10年後」なら「最難関」でも可能かもしれない、と、現実逃避と言えなくもない目標をたてて英会話の勉強を始めた。たまたま結果論でそれが叶ってしまったので(いちおう9年目に)いばって「人間、適度な目標設定が大事なコツ」とか英会話教室の生徒には言っているのだが、その陰には、思い出すことすらできない挫折した目標の死骸が累々としているのは言うまでもない。
ともあれ。9年目にして、といってもそれまで何度も試験を受けて挑戦したわけでなく、9年目にやっとこさ現実に直面すべく初めて受けたのだ。1次にすんなり受かったのも不思議だったが、2次試験は運悪くリベルダージの藤沢でのパレードの日に当たってしまった。でもそれで試験を棒に振るのはいかにももったいない。幸いにしてイベントは昼前で、試験は午後である。ちょっと遠いのが難点だが無理すればなんとか・・・。
そこで私はけっこうな「無理」をすることにした。幸い藤沢は実家の近くであったので、弟を駆り出して車を出させ、パレード終了地点に待機させておいた。パレードが終わり、タンガのまま(当時は歌手なのにタンガ着ていた)車に乗り込むと、そこで前あきのワンピースをタンガの上に羽織って駅に送ってもらい、羽などは車に残して東海道線に乗り込むと、列車内のトイレで着替えたのだ。
●そしてなに食わぬ顔で千駄ヶ谷の面接会場に行ったのである。会場にはすでに受験生がたくさんいた。みんな真剣に青い顔で直前の勉強(悪あがき)していた。ひゃああ、と思ったがもう悪あがきしている余裕すらない。こちとら、パレードやって歌って踊ってきたばっかしである。アタマがパレードモードのままである。そのままグループ面接に突入してしまった。グループ面接といっても、討論とかするわけでもなく、試験官が受験生にそれぞれ質問をしていくだけである。5人のグループだったが、周囲の人々はコチンコチンになっている。ものすごく勉強はしていたようであるが、答えがあからさまに「丸暗記」調で、アタマのなかにある文章を読んでいるように答える。
●私はと言えば、ひとりだけ妙にお気楽モードに入っており、聞かれたことには知らなくても(実際知らないことばっかだった)ハッタリかまして答え、それこそ「な〜んちゃって」ぐらいのノリになってしまって試験官に爆笑された。「いや、あなたの答えは『当たらずとも遠からず』ですね」だって。クイズ番組じゃないんですから。
●バカだと思われたかな〜〜、不真面目だったかな〜〜、と思ったがもうあとの祭り(いや「祭りのあと」、なんちて)。結果についてはあきらめつつ、面接後はまた遠路わざわざ藤沢にとって返して打ち上げには参加した、という、あくまでサンバモードのまま押し通してしまった私だったのである。
●ところが。その2次試験に通ってしまった。3次試験に行って前後の受験番号から分かったが、そのグループで受かったのは私だけだった。断っておくが、私はその時点でも英語力に関しては他の受験生に勝っていたとはとても思えない。知識に至っては最悪であった。まあ結局、ガイド、つまりは接客業の試験であるから、当方の事情はともあれ「なごめる人物に見えた」ことが良かったのかもしれない、とあとから思った。
●まあこちらとて全く門外漢なことに無謀に挑戦したわけでもなく、それなりに日頃の勉強はしていたのではある。かといって「試験のための」勉強ばかりしていたわけではない(当初の「目標設定」はともあれ、すでに英会話教師になってしまっていたし)。そして当日は「緊張」から最も遠いところにいてしまった。というわけで、(お約束の「ムリヤリごキョークン」にいく)サンバも日頃、練習は必ずしも「浅草のため」ではなく楽しくやり、そして本番ではそれこそなにも考えず肩の力を抜いて楽しくやって、見ている人をも楽しくさせてしまう、と。これですよ。よーしきょうもきれいにエラソーに決まった(??)

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