|
 |
 |
 |
 |
 |
2002年9月号 |
 |
「すけべ考」再び |
●前回、サンバを見るスケベな視線について書いた。それを読んで、欧州支局高戸夫妻は言った・・
「ヨーロッパのあちこちでサンバパレードに出ているけど、そんなカメラ小僧とか絶対いないよね」
そ 、そうなの? 人間のスケベな本性なんていずこも同じようなもんだろうと思っていたのに。
「いやあ、まずいないよね、もちろん普通に写真を撮る人はたくさんいるけど、胸やお尻をことさらに狙ってくるようなスケベ目的の人はいない」
どうしてだろう?と話していて、ようするに彼らはそんなものに今さら興奮するほど珍しくないのだ、という結論に至った。
●そういえば、ドイツでサンバパレードに参加した藤井さんも言っていたが、衣装に着替えるとき、もちろん女性もスッポンポンになるのだが、男女別の更衣室なんてものは存在しなかったという。
●サウナ発祥の地フィンランドから来たダンサー、サリの曰く、銭湯のような絶好のコミュニケーションの場所として公共のサウナがあちこちに存在し、そこでも男女が分かれておらず、スッポンポンのまま、おしゃべりしながらくつろいでいるという。 そんな状態だから、タンガごときに「劣情」を催すいわれがない。彼らにとってサンバの衣装は純粋にキレイで華やかで楽しいものなのだ。
●しかしそれをもってヨーロッパの人間は成熟していて、日本人はしょーもない、というつもりはない。そういう文化がなかった日本人にとっては、サンバの衣装といえども十分にアヤシイものであり、興奮してしまうのも仕方がないと思う。 人間の心理というのは実に微妙なものだ。ハダカを見慣れているはずのヨーロッパ人も、まったく不感症なわけではない。かつてヨーロッパの海岸で遊んだとき、トップレスの女性がたくさんいた。だれも気にしていない。私はさすがにトップレスになるのは気が引けたが、当時はまだ浅草でタンガを着ていた時代(遠い目)水着もTバックだった。そのTバックの水着を当然のように着ていたら、連れの友人が、
「すごい、みんな見てるよ、あなたのお尻」
と言われてしまった。見回してみると、皆、上こそトップレスと言えど、下はダサイくらいに大きなパンツ状の水着である。東洋人のたれ尻をTバックで強調していた私は、もしかしたら異様な「劣情」をもたらす存在だったのかもしれない。「見せるべきではない場所で見せるべきではない箇所を見せている」というのが劣情喚起の条件なのだなあ。
●もちろん世の中には、女性は顔すら見せてはいけないというところだってある。イスラム教が支配的なマレーシアの海岸でも三角ブラ・Tバックのビキニを着ていた私はとんでもなく不埒な存在だったはずだ。なにしろそこでは、男性も女性も、水着は着ない。海水浴に来ても「普通の服のまま」泳いでいるのだ! 気合いを入れたデートらしく、真っ赤なワンピースのドレスを着た若い女性が、ボーイフレンドと一緒にそのワンピースのままでずんずん海に入っていき、きゃっきゃとはしゃいでいるのを見て目を疑ったが、彼らにしてみたらビキニの私は気が違っている(ぴーーー)ように見えたことだろう。
●変に抑圧されることによって、歪んだ形で噴出してくる「劣情」という図式で考えると、日本において性的なものが抑圧され、そのせいで性というものがいささか不健康に隠微なものとして扱われ、その結果浅草では怪しいカメラ小僧やオヤジが発生するのだ、と言えなくもない。が、ひるがえって、じゃあ性が日本より開放的に見えるヨーロッパで性犯罪などは起こらないのか、というとそんなこたあない。 人間というものは、イケナイことをやってみたいという、あるいはもう少しマイルドに言えば、簡単には手に入らないものを手に入れたい、チャレンジしたい、という衝動を抱えている存在なのではないか。ある部分が「解放」されても、その分、「なお隠されている部分」にエネルギーが向かってしまう。となると、なまじかなりな部分解放されていると、向かうところはさらにエスカレートした部分になり、かえって危険かもしれない。もっともっと刺激を求める、ということである。ヘタをすると、それ故に「猟奇的」と言われるところまで踏み込んでしまうかもしれない。 そう考えると、浅草でタンガに興奮しているらしいスケベおやじなど、可愛いものだと言えるかもしれないね。

|