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2001年8月号 |
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〜水も滴るいい女〜 |
●暑いんだか涼しいんだかよく分からない気候の日々、ついに利根川の一部などで取水制限まで始まるほどに雨は少ない。困ったもんである。私は昔はおもいきり「雨女」で、出かける先々で雨に降られ嵐を呼んだ。渇水地域に出かけていったら喜ばれるんじゃないかと思ったこともある。ところがサンバを始めてからそうでもない。というか少なくともリベルダージは、強力だったはずの私の雨女ぶりをモノともしない晴れ女・晴れ男の群らしい。イベントなどが雨でつぶれたということがほとんどないのである
●記憶にある限り、この10年で数え切れないほどにイベントなどがあったが、雨でパレードがつぶれたのは、台風のため事前に1週間の延期が決定された98年の馬橋、集合はしたけれど結局実施できなかった数年前の赤羽バカ祭り、の2回しか記憶にない。もっとも、そのほかは全然雨に縁がなかったというわけでもなく、「雨天決行」だった場合もそういえばそれなりにあったのだった。
●合宿の練習に関しては、梅雨のまっただ中でも富士山がきれいに見える晴天にめぐまれるばかりだった河口湖だが、イベントが絡むと相性が良くないようだ。95年9月の半ばに泊まりがけでイベントに呼ばれたが、結局台風にたたられて雨模様で、しかし中止にはならず、「体育館のなか」でパレードした・・。R'sスタジオの、せいぜい倍ぐらいの大きさのところで、ぐるぐると2周するマヌケな「パレード」。お客さんもほとんどいなくてさみしい状態(しかもそんな狭いところなのに、小学校の鼓笛隊とほぼ一緒にパレードすることになったりしてとってもカワイソウだった)。99年にも、練習でお借りしているステラシアターで合宿の最終日にショーをする予定が、練習の時は晴天だったのにショーの日だけ雨。室内の小ホールで一応パフォーマンスはしたけど、やっぱりしょぼくなってしまった。うーん、あのステージでショーができたらどんなに爽快だったろうか!残念!
●午前中雨だったために、午後にすべての出し物をつめこんで、道を半分ずつサンバとおみこしで分け合わなければならなかったこともあった。反対方向から出発して途中ですれ違うのだが、これもえらいこっちゃだった。そんなはずではなかったのに、パレードの最中ににわか雨にたたられることもある。これはけっこうヒサン。97年の馬橋などは、浅草直後でかなり気合いも入っていて、アレゴリアも運んできていたし、衣装もほとんどのパートがフル着用だったのだが、それだけにあのにわか雨は痛かった。
●少人数で「雇われて」日比谷でパレードしたときも雨だった・・・いや、あれはパレードですらなく、じつは「デモ行進」の一部だったのである(本当)。はじめっから雨なのだが、なにしろデモ行進だから(東京都の清掃組合など、官公庁に出入りの業者の団体の、公式デモ)雨天中止にはならない。お祭りではないからもともと観客もいないが、平日の夕方で、ちょうど勤め帰りの人々にアピールするべく、日比谷から銀座を通って東京までかなり長い距離を歩く。私はそのときダンサーだった(遠い目)。バテリアは金沢さんなど数名。ダンサーは日本人数名とブラジル人数名。ブラジル人のダンサーたちは所属事務所のはからいで、タンガの上に半透明のレインコートを着てパレードしていた。「あれにはソソられた〜〜」と、日頃タンガなんか見慣れていて全然なんとも思わない金沢さんがヨダレたらしていた。しかしそんなのもなかった日本人ダンサーはヒサン。私はあのマフラーのようなふわふわした細長い羽根ハネの飾りを持っていたのだが、そんなものは濡れて「ヒモ」になってしまった。帰宅を急ぐ人々は「パレード」ならぬ「サンバつきデモ行進」に出くわして驚き、ニヤニヤし、あるいは「あ〜あ〜」と苦笑する。なにせこっちは、踊ってはいるが、ぬれねずみ。しかもまだ6月始めで、そもそもが寒い! 一応笑顔になろうと努力しているものの、あきらかに無理している「はりついた」笑顔である。長くて寒くて、脚もヨレヨレだ。行けども行けども終わらない。つらかった・・。いや〜〜、世にも「サムイ」パレード(いやデモ)だった、いろんな意味で。
●さて、浅草での雨体験・・・を語ろうと思ったら字数がつきた。でも浅草は、ひやひやしながらも今まで一度も雨で中止にはなったことはないのだ。今年ももちろん大丈夫!(根拠はないがそう決まっている) 「熱い」パレードにしようね!

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