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私とサンバ
リベルダージのメンバーたちはいかにしてサンバにハマったか?各人が「告白」します。
 
1.金沢はじめ(ビシ・プレジデンチ)
金沢はじめ(ビシ・プレジデンチ)
私のサンバ物語は、中森明菜とサウーヂから始まった

(注:この記事はG.R.E.S.サウーヂの情報誌向けに書かれたものですが、そのまま許可を得て転載しています)

私はリベルダージの創設メンバーの一人であり、以降バテリアの一員および幹部の一人としてリベルダージに所属しております。石山さん、伊藤さん、松下さん、松重さん等、サウーヂの方々とは古くからお付き合いさせていただいております。ひょんなことからあやこさんから寄稿の依頼をいただきまして、サンバをやり始めたいきさつなどを述べさせていただくしだいです。


私がサンバに興味を持ったのは、1985年に中森明菜のスタジオアルバムバージョンの「ミ・アモーレ」を聴いたのがきっかけでした。このバージョンは、最初の1コーラスとエンディングがサンバ、それ以外がサルサ風のアレンジでした。サンバの部分に聞きなれない弦楽器の音があり、その音に惹かれました。ギターでもなくウクレレでもなく、チャランゴのようにも聞こえるけれどなにか違う。一緒に録音されているクイーカ、スルド、タンボリンは、それまで聴いていたフュージョンでも使われることがあったのですでに楽器として知っていましたが、この弦楽器が何かわかりませんでした。きっと本物のサンバではこの楽器は主役級に違いないと思い、これをきっかけにサンバのレコードを聴くようになり、それがカヴァキーニョであることを後に知りました。ちなみにミ・アモーレのレコーディングに参加していたブラジル系ミュージシャンですが、カヴァキーニョが井上みつるさん、タンボリン・パンデイロ・スルドがフランシスシウヴァさん、クイーカが三島さんとのことです。


1980年代のサンバシーンは、空前のパゴージブームでした。いろんなパゴージ系サンバのレコードが発売されましたし、月刊ラティーナには笹子さんによるものだったと思いますが、「ウラで歌え」といったようなサンバの演奏・歌い方の解説記事もありました。そして1988年にはフンドジキンタウがイヴォニララとともに来日公演を果たします。当時の私は、プラッサオンゼもサッシペレレも知りませんでしたので、これが初めて生で見る本物のサンバでした。感動しました。渋谷のクラブクワトロで行われたライヴの模様はFM東京で放送され、それを録音したカセットテープは、今でも大切に持っております。


このライヴで印象的だったのは、フンドジキンタウとイヴォニララだけではありませんでした。それは、ステージの休憩時間に彼らのナンバーを歌っている集団がいたことです。必ずしも上手だとは思いませんでしたが、とても楽しそうでした。中学生時代にロックを聞きだし、高校〜大学時代にはジャズ喫茶に入り浸り、飽き足らずにサルサやMPB、サンバまで聴き始めて、私自身ずいぶんな音楽オタクになったものだと思っておりましたが、英語でもないフンドジキンタウのナンバーを歌うこの集団こそオタクの中のオタク、いったい彼らは何者なのか? 尋ねてみると、おそらく緑とバラ色のシャツを着ていたはずの方は「横浜のサンバの同好会です。アマチュアです。」と答えてくれました。きっと石山さんや伊藤さんもこの中にいらしたのではないかと思います。


私はそれまでにいろんなジャンルの音楽を聴いていたけれども、自分でやりたいと思ったことはありませんでした。私にとって音楽との関わり方は、お金を払って上手な歌手・演奏家の演奏を聴くことだけ。落語が好きになったからといって、たいていの方は寄席に行っても噺し方を勉強することはないのと同じです。ところがサウーヂの方々と遭遇して、プロのような技量はなくても充分楽しめるということ、また、やらなきゃ損だということを感じました。そして翌年、月刊ラティーナの最後の方のページに同好会情報で会員募集をしているサンバの団体を見つけ、そこに参加することになりました。


サンバを聞くきっかけは中森明菜のアルバムから、やるきっかけはサウーヂの方々の歌から、つまり私のサンバ物語は、中森明菜とサウーヂによって始まりました。私が加入した団体は、ラティーナで唯一会員募集をしていたクルゼイロドスウルでした。その後クルゼイロドスウルの分裂、木皿儀さん等とのリベルダージ創設を経て現在に至るしだいです。クルゼイロドスウルの練習場所は、当時多摩にあった自宅から通いやすい経堂でしたが、あの時サウーヂがラティーナで会員募集をしていたら、練習場所が遠くても間違いなくサウーヂに加入していたと思います。


1994年から私はリベルダージのジレトールダバテリアを務めることになりました。リベルダージ創設直後は今ほど人材が豊富ではなかったので、初心者に毛が生えた程度の技量しか持っていない私がそのような役を務める状態でした。このとき私がまず行ったことは、先輩チームであるバルバロスとサウーヂのバテリアをよく観察することでした。バルバロスは例えばカイシャの代わりにスネアドラムを使ったり、パターンも必ずしもリオとは同じではないものの、アンサンブルとしての調和を重視し、本場とはなにか違う面があってもとてもまとまりのある音に感じました。また、初心者に対する教え方というか、未経験者を取り込みながら仕上げていくことに長けていました。一方サウーヂは、楽器やチューニングはもちろんのこと、すべてを本場のとおりにしようという気概があり、見方によっては表面的な真似のみのようにも見えたのですが、バルバロス並みのまとまりとなった時には間違いなく本場のバテリアに最も近かった。さらになんといっても、浅草直前の原宿ホコ天の練習の休憩時間に屋台が出てきてビールや焼き鳥などがふるまわれたり、浅草寺境内の作業の横でパゴージが繰り広げられたりというように、おおらかな雰囲気があった。このおおらかさは老若男女集まるサンバチームには必要なことだと思いました。結局私はバルバロスとサウーヂのどちらかを真似するのではなく、両方のいい部分、気に入った部分を参考にさせていただきリベルダージなりのやり方を作っていきましたが、コミュニティーとしてのいろいろな楽しみ方、多面的な切り口を作っていくべきと確信したのはサウーヂからの影響です。


サウーヂとリベルダージは、ある意味で似たエスコーラだと思います。三社祭から転向された方が創設し大発展したバルバロス、学生の同好会連合であるウニアンに対し、サウーヂもリベルダージもサンバをもともと愛していた・興味を持っていた方々が創設した同好会です。浅草サンバカーニバルにおいてほとんどの順位を経験しているものの、優勝だけは未経験であるところも同じです。サウーヂとリベルダージと、どちらが早く初優勝するのでしょうか? また、おもしろいことに、サウーヂとリベルダージは同時にともに3位以内に入ったことがありません。サウーヂが躍進すればリベルダージは沈み、リベルダージが上がればサウーヂは落ちるという、同じシーソーに乗って遊んでいるような関係です。昨年はめずらしく両方とも躍進した年でしたが、これは近いうちに優勝と準優勝をサウーヂとリベルダージが占めるという日が来る兆候なのかもしれません。(そんなことがあるはずないような気もしますが、夢見るだけなら金はかかりません。)初優勝を目指してお互いにがんばりましょう。

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