おおゆみこ初めてRIOへ行く 〜2〜

<マンゲイラのクアドラ訪問>

<シーズンオフのRIO>
「リオの人々ってのは,カーニバルのためだけに生きてるようなもんで,カーニバルが終わると翌日1日は灰になるけど,その翌日からはもう来年のカーニバルのことを考えている」・・・と聞いたことがあり,そう信じていた。でも,ある意味では確かにそうなのだろうけど,実際にリオに行ってみたら「カーニバルは季節商品よ」だそうだ。2〜3月にカーニバルが終わってから秋冬の間は,練習も何にもやっていない。で,ちょうど今ごろになってポツリポツリと活動が再開され始めるそうな。もちろん,たとえばテーマを決定するなど,首脳部でのなんらかの動きはあるのだろうが,実際に練習や衣装制作などが本格化するのはカーニバルの3ヶ月ぐらい前からなのだそうだ。そういう意味ではリベルダージの方がよっぽどサンバ狂いだーーー浅草の翌週からでも「練習」するもんね。  

 今回私たちは,季節はずれの,まだこのあいだのカーニバルのアレゴリアがそのまま放置してあるようなバハカン(作業所)をいくつかと,クアドラ(練習場)をいくつか見学させてもらった。クアドラはインペラトリスとマンゲイラのものを見学したのだが,マンゲイラのものはとりわけ印象深かった。去年「マンゲイラツアー」でも岩田さんやジョバンニが見学しているはずだが,今の季節はもちろん全体のエンサイウ(練習)はお休みである。がらんとした練習場。しかし「シーズン」が来れば彼らは週に3回,夜中,いや明け方まで練習するのである。本場のサンビスタといえども練習がはじまったころは,「なんじゃそりゃ」というくらいヘタクソなんだそうだ。でもガンガン集中して練習し,パレードの時には熟成した「キムチに(?)」なるのである。

<エスコーラは「独立国」?>                  

                                       マ ンゲイラカラーのバラ色とグリーンで統一された練習場では,生まれたての(?)マンゲレンセが遊んでいた

 けれども,地域に根ざしている各エスコーラのメンバーは,シーズンオフでももちろんエスコーラのことを忘れたりはしない。マンゲイラのクアドラでは,サンバではなく,いろいろな「職業訓練」が行われていた。練習場の一角にガラス張りのきれいな美容室がある。ここでメンバーが髪を整えたりするのかと思ったら(それもあるだろうが),そこはむしろ美容師になるための訓練を施すためにあるのだそうだ。コンピューター教室もある。そのときまさに何かの授業が行われている教室もあった。また,サッカーコートはもちろん,バスケットなどのコートもあり,ピンクとグリーンのマンゲイラ色の短パン姿の若い人たちがトレーニングしたり練習試合をしたりしている。  マンゲイラでは,メンバーの子供たちに,さまざまな形で「自立できるための」力をつけさせようとしているのだという。スポーツが得意な子はスポーツの世界で,たくさんのトロフィーやメダルを得るほどに力を付け(それらのトロフィーなどがたくさん飾ってある部屋もある),もちろんそれが生活の糧にもなるようになる。  彼らはブラジル人であるだけでなく,「マンゲイラ国の人間」なのだ。実際に,マンゲイラのクアドラの正面には「マンゲイラ国の栄光と誇り」という字句が掲げてある。

 夕方からはクアドラで,将来のパシスタたちのための講習が行われていた。Rainha da bateriaつまり「バテリアの女王」である美女が先生だ。バテリアの女王,とはパシスタの中でも特に技量の優れた人が選ばれ,バテリアの前で踊ることができるのである。5,6歳ぐらいの子から12歳ぐらいまでだろうか。なぜか女の子はみんなお揃いの緑とピンクのショートパンツとタンクトップなのに男の子たちは思い思いのかっこうだ。柔軟体操のバックにはベッチの歌う「バラは語らず」がけだるく流れているのがなにか可笑しかった。    

  プレジデンチじきじきに上記のようにいろいろと案内され,「私たちは地域の子供たちに自信を付けさせ,自立してもらいたいのです」,と力説され,われわれ一同,ふうむ,と感心する。たしかに「ここではサンバがむしろ『秩序』を作っているんだねえ」と誰かが言ったが,そんな気がする。サンバというと,ただわーわーと乱痴気騒ぎで,カーニバルでは死者もでるんだってねえ,というイメージが一般的には強いと思うが,それは皮相的な見方であるようだ。そもそも「エスコーラ・ジ・サンバ」すなわち「サンバ学校」という名称からして,貧しく,そのゆえにまとまった力も持てず秩序もなく,知識や技術も身につけられず,社会の下層にあえいでいなければならなかった黒人たちに「組織」らしきものをもってもらおう,と言うのがもともとの趣旨だったと聞いたことがある。リベルダージにも冠せられているG.R.E.S.というアルファベットは,「Gremio(クラブ,団体)Recreativo(レクレーション)Escola de Samba(サンバ学校)」というのが正式名称で,サンバだけでなく,黒人を中心とした貧しい層に,建設的な形でレクリエーションの場を与えているのである。  もちろんマンゲイラと他の様々なエスコーラがみな同じわけではなかろう。基本的に地域に根ざしている団体であるが故に,「土地柄」からそのチームの事情や雰囲気がかなり様々であろうと想像される。それに私たちが見せてもらった部分はマンゲイラの,いわば「外交的」な部分であるに過ぎないのかもしれないし,そのあたりは,たったの一日で,表面をなでたと言うにも足りない私には判断はできない。が,そこの子供たちがたしかに,ブラジル人であるより前に,「マンゲイラ国」の子供たちである,という感じはした。

<閉ざされた空間に育つ「恵まれた」子供たち>
 話は唐突に変わるようだが,ブラジルで中流以上の人間は,「コンドミニオ・フェシャード」つまり「閉鎖コンドミニアム」(コンドミニアムは日本で言うマンションのようなもの)に住んでいる人が多いらしい。「閉鎖」というのは,つまり外部に対して閉鎖しているわけであり,入り口に管理人が居て,住人と,その住人が認めた客しか入れないようになっている。そしてそのコンドミニオの内部には子供の遊び場やサッカーやテニスのコート,マシンジムやプール,またパーティ用の大広間などがあり,売店もある。ブラジルは特に子供の誘拐が多いのだ。それで,子供たちは安全なこの「閉鎖空間」で安心して遊ぶ。閉鎖コンドミニオの高層で巨大なものには何千という人が住んでいて,内部にスーパーマーケットも,学校も教会も,病院もある,というものも珍しくないらしい。そして,かなり大人になるまでその「閉鎖空間」から一歩も出たことがない子供たち,というのが相当数いるのだそうだ。
       

ひとつひとつが「閉鎖独立国(?)」の高層コンドミニアム群。そうとうな人口を擁する。             低層のコンドミニアムのほうが「高級」とされる。少ない人口に対して設備は整っているからだ。

ブラジル人はものすごく「階級意識」が強く,つまり下層階級と上層階級の間には生活レベルはもちろん,かなりの意識のへだたりがあるらしい。ほとんどが自称「中流」である日本とはそのへんがかなり違う。中上流階級の人間たちは,それなりの生活レベルを満喫しつつも,そのような閉鎖空間の中で生きている。便利なのではあろうが,私などにはなんとなく窮屈に思えてしまう。 かたや,下層階級になればストリートチルドレンなどの問題もある。下層階級の子供たちの命や暮らしは,やはりとてつもなく軽視されているのだ。それでも,いわゆるスラム街であるファヴェーラの内部のコミュニティでは,人々は互いに信頼し合って暮らしているので,たとえばたまたま大金を手に入れた人がいて,それを家の中に置きっぱなしで鍵も掛けずに出かけても,盗られたりする心配はないという。そんなことをするヤツが居たら,それこそそのコミュニティのなかで存在を許されなくなる。(ということは,命やお金が奪われたりするのは,「階級」の狭間で起きているわけである)。・・・いや,これ以上ブラジル社会論を展開するには知識も経験もなさすぎるのでやめておこう。私よりはるかにブラジルに通暁している方々の多いところでちょっと恥ずかしい。認識違いがあったら指摘して下され。それにしても私自身も,もっと何かが分かるまで,せめて1年ぐらい暮らしてみたいものではある。

ただ,「マンゲイラ国」の子供たちは,もしかしたらとても幸せなのかもしれない,なんて思ってしまった。貧しくとも,のびのびと,「愛国心」と誇りを持って暮らしている。そして年に一度,喜びと楽しさが爆発するような3日間を体験する。なにかうらやましいような気がしたものだ。でもまあ,私たちもそんなに変わらないよね。やっぱりサンバは世界を救うのだ!

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