1999年フィンランド・ヘルシンキのサンバカーニバル

<4> 阿波踊りとサンバでインテウナシオナウ!
リベジ最年長ながら,世界を股に掛ける斉藤御大(別名宴会部長),フィンランドにて,これぞ本場の阿波踊り,を披露!
青い空と白い議事堂と獅子舞フィンランドの空は高く澄んでいる。国の半分が北極圏だと思えない強い日射しで暑い。大聖堂前にある広大な元老院広場にはタンペレから200キロを移動して来て仕上げをされている鳥居、富士山、お囃子の屋形まであり、いずれも素晴らしい出来である。鳥居など参道が作られ小砂利が敷かれ、松の木まで植える芸の細かさであり他チームのフロートなど比べるまでもない。 近くの小学校で着替えた人達が段々と集まって来る。観客もふえつつある。 リベルダーヂ派遣の精鋭も揃った。ドイツの鉄人・藤井、ルクセンの達人・高戸、テクニックの妖精・ミズヒロミ、妖艶の姫君・ミズカヂリン、諸国流浪人無責任派の斉藤の5人である。今回はリクエストがあり踊りゆかた白踊り足袋ねじり 鉢巻き、たすきかけ、サンバの雰囲気とは違うどうも初めてのことでぎこちない。
 ダンサの衣装に着替えた女性たちは色白で美形が多い。その中で日傘をさした超厚化粧の人が近づいて来て、口をきくまでそれがサリと気がつかなかった。しかも 同様なメイクの人が何人かおり誰だか見わけがつかない。厚化粧もそれほどになると恐ろしい。
 スタートの時刻が迫るとさしもの広場も群衆で埋めつくされる。ロゼイラのエンヘードが鳴りスタートです。高くて長い大聖堂の石段も人で埋めつくされ、歓声も怒濤のようであり、リオのロードサプカイの観客席前で踊る感覚で反応もすごい。ヨーロッパのほとんどの道路は石畳で足もとは不安定で悪い。私は 踊りタビで安定は良いはずだが踊りづらい。ハイヒールのダンサに苦難を強いることになる。祭りのフロート前をまかされた3人ここで盛り上げなければ応援に来た価値がない。「ガンバルゾー」「エイエイオー」と掛け声は上 げなかったが心意気は高かった。観客の受けも良い。広場からエスプラナデ通りの出てパレードは続く。人出も切れない、「長い」、「熱い」。必死で頑張る。「サンバは格闘技なのだ」長いパレードも「三人の鍛冶像」の所で終る。「長かったー」「疲れたー」「辛かったー」が実感で 反応が良かったことと、なしおえたと言う満足感で疲れも心地良い。イタリアレストランでビールの大ジョッキが五臓六腑にしみわたる。

  午后9時「カジヤ像」にて集合することにしてホテルで少し横になったのが失敗、気が付いた時は9時を過ぎていた。大巾遅刻。この時間フィンランドはまだ明るい。心優しい方々はハンバーガーを喰べながら待っていて呉れた。 深夜の12時頃パレードの結果発表が行なわれる。私は舞台のソデで決定的瞬間を写すべく待機した。意外、ロゼイラは2位だった。興奮したパパガイオ(サンバのチーム)ババアが舞台で踊り出しそくぞくと続く横をカメラかかえ静かにおりた。日本勢が集まったが言葉がない 。 明日、ドイツフランス、日本とそれぞれの帰国の途につく。渾身の全力投球をしたサリにかける言葉もない。200キロの道のりをタンペレまで帰る。ロゼイラの人達とも別れホテルに帰り綿のごとく寝た。
  (翌日)すでに高戸組はフランスへ発ち藤井梶谷組はドイツへの途中であろう。今のフィンランドはトップシーズンでスポーツ団体の大パレードなどやっている。 昨日の戦場エスプラナデ通りの木陰のベンチでウトウトして居ると目の前に藤井氏カヂの二人が居るではないか、偶然である。日本人がほとんど居ない所での出会いであった。エアポートへ行く中央駅で荷物を預け時間まで散歩で来たものであった。

 帰国してから、サリへメッセージを送った。「今回は私も非常に残念でした。もし声を掛けて呉れれば再びフィンランドへ応援に行くであろう。」 日本勢の気持ちである。来年もフィンランドに行く様になるかな
   
ポルタとメストレは「イザナギ・イザナミ」のイメージ    鳥居のフロート     歌うは神官たち??プシャドール(歌手)たち
 
バテリアは「足軽」。それを率いるヂレトールは当然「ショーグン」!


      
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