Herr.FUJIIの「サンバの裏街道をゆく」より

2000年サンパウロカーニバルのテーマについて(1999年10月号掲載)
今月の一句
秋の風 ふと想わざる 過ぎし日の熱きサンバと 居酒屋の日々

<「テーマ」をどう料理するか,が勝負の各エスコーラ>

〜バツルカの繰り返しがエクスタシー〜
 私のサンバ好きは,エスコーラの♪バツルカ,タツルカがとっても心地よく響くことと,エンヘードの面白さから来ている。
99年はサンパウロのカーニバルで,エスペシアウからブロコのパレードまで,丸々四日間つきあった。
 そこでも背筋がゾクゾクするようなドカスカに興奮し,目からウロコが落ちた思いがした。
生演奏のバテリアと歌手たちの群を飽きることなく撮り続けられたのも,大音響で耳に入り込んでくるエンヘードの面白さからだったと,今振り返って思う。

〜「テーマ」こそすべて〜
 リオでもサンパウロ(以下SP)でも,パレードするには「テーマ」が必要となる。カーニバルが終わると,休む間もなく「カルナバレスコ」を選んだり,予算の見積もりを始めるのが常。そのためにはどうしても「テーマ」を決定しておかねばならない。
 「テーマ」はタイミングの良い時事性を盛り込んだり,画期的なメッセージが要求される。テーマが他のエスコーラとだぶらないことも条件の一つ。決定すると「実行委員会」に登録する義務も課せられている。
このテーマに従って作曲作業もはじまる。
SPの「エスコーラ・ホーザ・ジ・オウロ」の場合,前年の4月中にエンヘードは完成しており,5月中旬に有力なエスコーラを招待し,おひろめのイベントを開催することが年中行事化しているそうだ。
 独自の「テーマ」で各エスコーラが登場するのが習慣化しているのに,SPでは来年度・紀元2000年には,この慣例を根底から覆す決定が為された。

〜統一テーマは「ブラジル発見500年」〜
 決定したのはLIGA INDEPENDENTE DAS ESCOLAS DE SAMBA DE S.P.(実行委員会)。今年4月に発表されている。来年はポルトガル人がブラジルの地を「発見して500年」ということで,テーマを全チームに対して統一したのである。
 SPのカーニバル史上前例を見ない企画で,各チームともに戸惑いを隠せないと聞いた。なにしろブラジル500年史を,各年代ごとに各チームが演じなければならないからだ。
 たとえば99年度SPエスペシアウで第1位(2チーム同時)のGAVIOESは,1770−1807の間のエピソードがテーマとなる。37年間の出来事を見ると,「ミナス革命の陰謀発覚」「バイーア州でのフランス革命に影響を受けた社会革命発覚」「初の印刷された新聞の発刊」「高等学校の創設」などがある。
 一方,同一位のVAI−VAIは,第3共和制時代。「最も難しいテーマを演じるハメになった。軍事政権とコロール政権の終焉,のような国家的エピソードは絵にならない!」困惑気味のプレジデンチの発言は弱々しい。わずか15年間の,つかみどころがない「現代」を表現せねばならないのだから,まあ不利かもーーという気がしないでもない。誘拐とエイズの流行じゃテーマにならんし・・・。
LIGAに各年代を振り分けられた各エスコーラの困惑ぶりが目に浮かぶ。
「500年記念」として,政治色が前面に出そうだが,これをいかにセンス良くウィットに富んだ表現をするかが,SPカーニバルの見どころとなるのではなかろうか。

ちなみに各年代とエスコーラの振り分けは以下の通り。
1500−1520 ポルトガルの探検  TOM MAIOR
1520−1580 ポルトガルの伝播  CAMISA VERDE E BRANCO
1580−1654 オランダ人のブラジル MOCIDADE ALEGRE
1655−1700 黒人と使節団の旗  AGUIA DE OURO
1700−1730 (黄)金の時代     LEANDRO DE ITAQUERA
1730−1770 コーヒーの時代  X-9 PAILISTANA
1770−1807 自由の精神    GAVIOES DA FIEL
1808−1840 第1王制      MORRO DA CASA VERDE
1840−1889 第2王制      UNIDOS DO PERUCHE
1889−1930 第1共和制     INPERADOR DO IPIRANGA
1930−1945 ヴァルガス時代   NENE DE VILA MATILDE
1945−1964 第2共和制     ROSA DE OURO
1964−1984 軍政の終焉    ACADEMICOS DO TUCURVI
1984−2000 第3共和制     VAI-VAI


      
                       <インテウナシオナウ目次へ>