1999/10月  第7回   

自転車野郎・洋平ちゃんがエンヘードにはまるまで
キソチシキ★昔のリオのカーニバル

さて、浅草をはさんでひさしぶりの投稿コーナー。今回はLiberdadeのスルド奏者にして知る人ぞ知るエンヘード好きであり、有名なフルート奏者・井上信平さんの弟さんでもある《井上洋平さん@11/3新婚ほやほや=結婚おめでとう!ここをクリックすると結婚式の写真が!》の登場です。洋平さんはちゃんと本屋さんで売ってる本を出してるんですっ。それもチャート入りしたです、すごい! 感動作です。是非一読を。(中公新書「自転車五大陸走破」)

私とサンバの初めての出会いは、1990年、自転車で世界一周の途上に立ち寄った(ちなみに8ヶ月間もいたが・・・・。余談だが、80カ国訪問した中で、同じ1カ国でも欧州のリヒテンシュタインは滞在期間約20分で終わったところもある)ブラジルであった。それまでは、数あるラテン音楽の一つで陽気なメロディーが多いジャンル・・・程度の知識、それにあまり興味もなかった。
 ところがウルグアイからイグアスの滝を経由してブラジルに入国後、ちょうどCARNAVALの時期と重なった。今では考えられないことだが、CARNAVALの日程さえも、リオでしかやらないお祭り思い込んでいて、ブラジル全土で熱狂することも知らなかったのだ。入国1週間後、サンパウロ州の次に日系人が多いパラナ州のマリンガという人口5万人くらいの町で、本場のサンバに出会った。
 泊めてもらっていた日系人に連れられ、4日間クルベに通った。日本でいうクラブ、ライブハウスのような所だろうか。初めて聴くライブのサンバは、ものすごい衝撃的だった。音楽を聴いて生まれて初めて鳥肌が立った。世の中にこんなに心の底から燃える、そして楽しい音楽があったのか・・・と感動したのを懐かしく思い出す。当時、特に印象に残った曲が「TRISTEZA」、初めて歌詞まで覚えたサンバの曲である。
 ブラジルを走り終え、半年ほどアメリカのNYで旅費稼ぎのアルバイトをしている最中(そういえばタンボリンの池田誠人さんとの出会いはNYだった)よくタワーレコードに足を運んだ。そして「SAMBA]「CARNAVAL」と書かれてあるジャケットのCDを買いまくった。いろいろと聞いているうちに一口にサンバといっても、いくつかのジャンルがあるのだなと感じるようになった。
洋平ちゃん,パレードで笑顔はじける そして気に入った曲をコピーして、NYからアジアに飛んだ。サンバのテープは、1日の走行で精魂尽き果てたとき、それでも目的地に着かなくて走り続けなければならない状況のときにパワーの源となってくれた。中でも「ガチャガチャと騒々しいタイプのサンバ」がたまらなく好きになった。なんて元気づけさせてくれる音楽なのだろう・・・と思いながら走っていた。帰国後、この「ガチャガチャと騒々しいサンバ」がエンヘードだったということがわかった。
 曲の出だしは、哀愁を感じさせるメロディーの歌に弦とスルド1本、まだかまだかとボルテージが上がっていき、錆の部分から■ドン、ドン、ド・ド・ドッ・・・・とバテリアが加わり、ヘピニキの合図で曲の頭から一気に怒涛のバテリアが入っていく。私はこの瞬間に涙が込み上げてくるくらいの至福を味わうのだ。だから、ほとんど似ている出だしの(多分、専門的には多少違うのだろうが、私にはわからない)エンヘードならば、どこのエスコーラもどんな曲も好きだ。まあ、1つあげるなら93年のSALGUEIROかなあ・・・。浜松に住んでいたとき、ブロッコサンベアバ(浜松で唯一のESCOLA DE SAMBA)の営業では、最後にこの曲を必ず演奏していて、特に思い出深いのである。浜松在住ブラジル人たちも大好きで、大いに盛り上がっていた。 いろんなエンヘード集のCDが出ているが、私の一押しはやはり「ESQUENAT NA SAPUCAI」ではないだろうか。本場の臨場感が伝わってくる素晴らしいCDだ。特にPORTELAの「FOI UM RIO QUE PASSOU EM MINHA VIDA」 まさに涙モノである。
 自転車で世界を回ってくると、周りの人は次、何処へ冒険に行くのか興味を持ってくれるようです。よく「次の夢は何ですか?」と聞かれます。建前は「まだ行ったことがない国・・・例えばチベットです」なんて受け答えてますが、本音は、本心はリオのグルーポ・エスペスシャルのバテリアで出たい・・もちろんスルドで・・・これが夢なんだがなぁ・・・なかなかフツウの人には言えなくて・・・・・  

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★★間違ってたらごめんね★★コーナー!
Liberdadeも来年へ向けて動き始めましたね。この号が出る日も最後のアイデア出しミーティング。テーマは何に決まるかなっ?わくわく。
☆さて、リオではテーマはいつ頃決まるんでしょうか? 資料によると、4月(10月)頃テーマ決定、5月(11月)頃デザイン開始、6月(12月)頃Sambas de Enredoの作詞作曲開始、となっています。意外に私たちと同じようなスケジュールですね。(()内は浅草時間)
☆そうやって1年かけて準備された、リオのカルナヴァル。その豪華絢爛な様子はビデオ等で見た方も多いと思います。でも、最初からあんなに豪華だったわけではなく、急速に巨大化商業化したのは1970年以降です。1960年代のカルナヴァルの可愛いくて美しくて素晴らしいことといったら!そして、その様子は市販されているビデオでも見ることが出来ます。容易に手に入るのは、フランスの映画『黒いオルフェ』と音楽ドキュメント(?)『SARAVAH(サラヴァ)』です。
☆『黒いオルフェ』には、1960年当時、3年連続優勝と絶好調だったポルテーラのパレードの様子が収められています。(場内アナウンスが字幕で「次はポルテラ組〜」と訳されているのがご愛嬌)その他のエスコーラも、名前は出ないものも多く登場していますから、見て楽しいです。タンガのダンサーは、まだ登場しないんですよね。最も露出の多い衣装でセパレーツの水着程度。一番多いのは貴族に扮した人々です。
☆『SARAVAH(サラヴァ)』は音楽のビデオなので、カルナヴァルは冒頭のほんの1シーンに登場するのみです。それでも1969年当時の貴重な映像ですから、感涙モノです。(実際にはは「おお、ピシンギーニャがジョアン・ダ・バイアーナが動いてるっ」の方に感動する人が多いことでしょう)
☆その頃は現在のような巨大な観客席はなく、観客とパレードの距離がとても近いのです。衣装やアレゴリアも親近感がわく素朴さ。そう、あれくらいなら真似しようかな〜っていう気になるんです。#近年のリオのパレードは(もちろん大好きですけど!)あまりにも圧倒的過ぎてそういう気持ちにならなくないですか? でも一番真似したいのは衣装などの外観ではなく、その雰囲気。まだカルナヴァルがリオ市民のものであった頃の、雰囲気です。 貧しい階級に生まれた人々が「この日だけは!」と貴族や王族に扮し、歌い踊り明かしました。市民は熱狂的にそれを迎えたのです。その雰囲気は、素晴らしい!
☆確かに私たちとは、あまりにも環境が違うし観客だって違うし「そりゃ無理だ」。でも同じくらいの規模ならば、某テーマパークのパレードよりも、ちょっと昔のリオを目標にしてみませんか?

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