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【浅草20周年特別企画】vol.1 『旧き佳き頃...浅草初回〜4回頃まで』
阿部澄子さんにインタビューしました。
2000/3

浅草20周年特別企画、その最初を飾るのは、この方しかいないでしょう。
浅草サンバカーニバルは今年で20回目、なんとなんと過去19回そのすべてにダンサーとして出場した人が、リベジにいらっしゃるのですよ。
今回は、その方=阿部澄子さんにインタビューしました。


ひさぎ:今とはパレードする場所が違ったんですよね。
阿部さん (以下 敬称略):4回目までは1周したんですよ。今はL字にパレードするところをコの字に。
(ジョバンニ:裏まで?) ええ、裏まで。全部。
ひさぎ:1周どれくらいかかったんですか?
阿部:2時間くらいで・・・
ジョバ・ひさぎ:2時間!!! 2時間やりっ放し?!
ひさぎ:ビデオで見たんですが、浅草寺境内の方でも何かやってませんでしたか?
阿部:ええ、開会式と閉会式をやっていました。それとね、一番最初は、商店街の上の方に張出しがありますよね、あそこにステージがあって、審査員席や主賓席があって、その上に上がって見ていたの。
ひさぎ:最初はパレードはなかったんですか?
阿部:パレードはありました。1回目から。
ひさぎ:コの字型に廻って、プラス、ステージのショウがあったんですか?
阿部:2時間くらいやったかしら。パレードを夕方からやって、ステージは夜だったから、それまでずっと、延々と。
ジョバンニ・ひさぎ:うーん、凄いね。

ひさぎ:出場者は何組くらいだったんですか?
阿部:一番最初はね、登録は53組あったんだけど、実際に出たのはもっと少なかったと思うわよ。でもね、出るには5人いればよかったのよ。5人以上1組。だから20組30組って言ってもあっという間に終わっちゃうでしょ。
ひさぎ:やっぱり5人位のチームもあったんですか?
阿部:ええ。多いところで130人とかそれぐらいだったかしら。私が出たチームは、50人位いました。
ジョバ:阿部さんは最初はどこのチームで出たんですか?
阿部:上野パンダーズ。上野の観光連盟とアメ横商店街が一緒になって作ったチームだったの。
ひさぎ:パンダーズは、何回出場したんですか?
阿部:1回だけ・・・(苦笑)
ひさぎ:2回目からはどこで出たんですか?
阿部:2回目は碇谷さんたちと一緒に自分達でチームを作って30人位で出たの。"エスコラージ・サンバド・アサクサ"っていう名前でね。それから3回目と4回目が、新仲見世。

ジョバ:向こうの(リオの)スタイルを踏襲するとか、そういう変化についてはどうですか?
阿部:いやもう、最初は本当に普通のパレードだったわ。お客さんにこう(アピールする動作)するんじゃなくて、ちゃんと整列して行進する感じのパレードでした。4回目までは。どっちかって言うと、鼓笛隊みたいな感じのパレードだったの。
ジョバ:サンバっぽさっていう点では?
阿部:5回目くらいからかしら。みんなタンガ(註1)なんかを着るようになったのは。最初は手作りでね、羽根も背負ってなくて。プロだけだったんですよそういうのは。ブラジルから招ばれて来ているダンサーがみんな羽根背負ってましたけどね。あと、SKD(註2)なんかの人達も出たんですよ。そういう人達も羽根背負ってましたけど。普通の人はもう羽根なんかなくて。

阿部澄子さんひさぎ:"賞"は最初からあったんですか?
阿部:ええ、大賞100万円。
ひさぎ:100万円?!最初から?
阿部:ええ、1回目から。
ひさぎ:じゃあ、5人くらいのグループでも100万円?
ジョバンニ:うわっ、すごい!それはすごいよね、今より!
阿部:でも5人くらいのグループは(大賞を)貰えなかったけど。
ジョバ・ひさぎ:(しゅんとなり)・・・そりゃそうですよね。
ジョバ:最初の大賞はどんなチームだったんですか?
阿部:MOAっていうチームだったの。200人って公称してたけど、実際は百数十人くらいだったかしら。黄金の女神(註3)をね、きちんと役を決めて筋書き通りに振り付けして。(註6)そのダンスをジャズダンスのチームが請け負って。その筋書きを書いた紙をお客さんに配るわけですよ。こういう筋書きでやってますよ、って。 (なんとその貴重な資料をお借りできました(註4)。)
ジョバンニ・ひさぎ: それ、今でもやりたいねー。
阿部:一時禁止になったんですけどね、また出来るようになったみたいだからやったらいいと思いますよ。

ひさぎ:浅草最初の年に、一般のみんなが参加したきっかけは何だったんですか。広告か何か?
阿部:テレビで。東京12チャンネルでね、「大賞100万円!誰でも参加出来ます!」ってやったの。練習風景を撮影してテレビで流したりしてね。
ひさぎ:みんなが、楽器の演奏を始めたのはいつ頃だったんですか?
阿部:最初から。でも自分達で演奏出来ないチームにはテーマ曲を流してくれて、それで出たの。"サンバブラジル(註5)"っていう曲があるじゃない? あれを"サンバDE浅草"とみんなで言っていて、それを流してもらってた。2回目からは、楽器やる人達も増えたわ。
ジョバンニ:第1回目って何年だったんですか?
阿部:1981年。今年20回目だがら。
ジョバ:サプカイ(註6)がまだなかった頃からやってたんだー、凄いなぁ。それでは、当時と今を比べて、良さがなくなったと思われることはありますか?
阿部:今よりももっとこう、おおらかな感じだったわね。でも、それは世の中の流れもあるから。それよりも、今の方が、みんなが入り易くてよくなったかもしれない。昔はもっと入りにくかったのよ、エスコーラもなかったし。それが今は自由に参加できますものね。

ひさぎ:では最後に。これからの浅草に期待することは何ですか?
阿部:リオのサプカイのように、盛んになることを願っています。
ジョバ・ひさぎ:今日はどうもありがとうございました!


註1:タンガ=ビキニスタイルでTバック、
一般にイメージされる[サンバダンサーの衣装]
註2:SKD=松竹歌劇団の略。ここ出身の女優も多い。
註3:黄金の女神=ブラジルの曲「NOREINODA MA~E DO OURO」の邦題。
註4:資料見ましたが、びっくりです。コミサンからポルタ & メストレ、バイアーナまであり、すべてのアーラにちゃんと意味がある!20年前の日本ですよ!!是非ビデオが見たい。
註5:サンバブラジル=ディズニー映画でも使用された超有名曲「ブラジルの水彩画(アクアレイラドブラジル)」
註6:サプカイ=リオのカーニバルの会場となる通り。1983年までは違う場所でやっていた。

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