8/17/98 Bahia report '96

カルナヴァル'96

こゆみこブラジル紀行          田熊 友美子



 2月9日深夜2時半、空から雪が斜めに落ちてくるころ、私はこれから空けることになる2週間のためにまだ会社にひとり残って仕事を片づけていた。缶ビールを飲みながら、「明日にはブラジルかぁ...」等とひとりごちても全く実感がわいていなかった。そして全然荷造りもしていなかった。出発当日の土曜日の昼起きて準備を始め、ばたばたと空港へ向かった。
 ここから旅と言うにはあまりにもかわいい旅行が始まる

 30時間後、行き帰りの飛行機が一緒の小宮さん、しぶちゃん、高橋まーさんとともにRioのガレオン空港に降り立ったとき、星さんとなつかしのPauloさんが迎えに来てくれていた。しばし抱擁!そしてついに8年越しの切望である"再びRioへ"が現実のものになった瞬間!

 かし、Rioはちょっと私たちに意地悪だった。到着した日の翌々日から豪雨がRioを襲い、(星さんの話では寒冷前線「Frenti Fria」なるものが北上する時期らしい。)私たちは毎日、星さん達のDPEショップのある南米一の大きさを誇るBarra Shopping Center(バーハ・ショッピング・センター)をうろうろするということに。予定していたRio市内観光は全くできず、最後の望みをSalvadorから戻ってきた日の翌日に賭けることになってしまった。
 20年ぶりの記録的大雨でファベーラにある家々が土砂崩れでながされたり、地下ガレージが水で埋まったり、交通は至るところ遮断され、とても観光どころではない大変な災害だったのだ。にしてもブラジルで起きることのスケールは、良くも悪くもでっかいっ!

 さん宅に泊めていただいたおかげでちょびっとRioに住んでる気分、しかもちょいと高級な暮らしのさわりを味わえた。
  Centroから車でとばして1時間強という郊外の高級住宅街のBarra da Tijuca(ジーコや、ホマーリオのコンドミニオもある)のさらに南へ12キロというロケーションである。家から徒歩で5分くらい歩けばきれいな白浜の海岸があり、有名なコパカバーナやイパネマ海岸とは違い、静かで落ちつける。星さんちに2週間前に貰われてきた秋田犬の子犬(タロ)を連れてビーチでぼんやりなんかもできた。このころタロの耳はかわいく垂れていた。
 そして星さん宅といえば、ひんやりとした感触の素敵な石をふんだんに使った床や、ガラスで仕切られたシャワールームのある4つのバスルーム、どっしりとした木製の家具調度品や観音開きの窓等々、「外国の家だぁ」と妙に感心。でもまだ建築中で、私たちが滞在している間にも雨どいがつけたされたり、天井を見上げるとまだ電気の傘がなかったりと、まさにハンドメイドの家作り。いつとは言えない完成の日が待ち遠しい。

 葉のしゃべれる知人と一緒にいると、ポルトガル語のできない不自由さがそれほど身にしみることはない。私たちは15日からのSalvador旅行で自分たちではまったく何もできない人であることを知った。お手上げだ〜!
 空港からホテルまではツニブラで手配して貰った現地の日本人ガイド(小山さん。ひろみちゃんも去年お世話になったらしい)が車で送ってくれたが、ホテルの部屋に入った途端、私たちは途方に暮れた。クーラーが壊れている。ベランダのガラス戸の鍵も壊れている。真理子さんの知人の家に電話しても誰も出ない、さらには、ガイドブックを1冊も持ってきていないため地理が分からない!この壁をクリアしないと何の行動もできないという状態に、パニックを通り越してしばし呆ける.....。そして、「とりあえず出かけよう!」「探検だぁっ!」てな訳で開き直り、『自遊自在』ブラジル・ポ語録の本を見い見い、エアコンを直して貰って、フロントでセーフティボックスの使い方を手まねで教わった後、街へ出た。
 ここはブラジル、計画をそっくり現実にしようとするのはかえって非現実的だった。その不確定さが逆に働いてとんでもなく幸運なことを呼ぶこともあるのは、ブラジルの面白さかも。

 SalvadorのCarnaval、それはとんでもなくとんでもないものだった。人口300万人のこの街はこの時期、国内外からの観光客が60万人詰めかける。その内の全員ではないにしてもほとんどの人がエレトリコのパレードを見ようと会場になった「道」に殺到するのである。ダニエラ・メルクリのCLOCODILO、バンダメルのMELOMANIA、OLODUM TIMBALADA、アサ・ヂ・アギア、シェイオ・ヂ・アモール、アラ・ケトゥ、フィーリョス・ヂ・ガンジー.......。
 エレトリコを持たない小さなブロコも合わせると100以上のバンダが期間中毎日入れ替わり立ち替わりパレードをするのである。とてもすべてを見きることはできない。REXと私は、近くのBarra会場や、ペロウリーニョ広場周辺会場、真理子さんの滞在していたホテルのあるカンポ・グランジ周辺会場と、熱に浮かされたように実に精力的にカーニバルしてまわった。他に黒人居住者の多いリベルダージ地区でも、アラ・ケトゥやイレ・アイエーなどのぐっとアフロ色の濃いバンダがパレードをしていたらしい。
 踊り、特に黒人系の人々の体のバネとうねりはすばらしい!子ども達が楽しそうに踊っている振りを私もそっと後ろで真似した。その子が気が付いて私に笑いかける、私も笑い返す...。

 いがけないすばらしい体験を(REX=井尻 博之のレポート参照)した私たちは、20日に星さん達の待つRioに再び戻り、すばらしく晴れ渡ったその翌日いそいそと観光に出かけた。Pao de Asucal、Corcovadoの丘、前行ったときよりずいぶん整備され、綺麗になって観光ヘリまであった。ちょっと怯えている星さんをうながしヘリに乗ってPao de AsucalからCorcovado、上空からのイパネマ海岸見物をした。7分くらいで約3500円は納得できる素晴らしい眺めだった。キリスト像の後頭部というのはなかなか拝めるものじゃない。
 子犬のタロは6日間見ないうちに足がしっかりし、耳が立っていた。初めて海岸につれていったときは歩くのをいやがってまるで人間の子どものようにだだをこねてうずくまっていたのに。日本に出発する日はフライトの時間が夜8時過ぎだったので、近くのビーチに行き、太陽の輝きを惜しむように肌を焼いた。本当にお世話になった星さん夫妻とはBarraのバスターミナルでお別れをした。また会えることをお互いに約束しながら。
 たった2週間の滞在の中、自分たちの帰るべき場所は日本ということが信じられないほどBrasilの気候や食べ物、暮らしになじんでしまっていた。今度いつBrasilに行かれるだろうか。そのころにはタロはすっかり番犬としての貫禄がでているだろう。Muita obrigada Brasil!!

--LIBERDADE NEWS 96年3月号に掲載の『カルナバル'96』より--



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