| インシャー・アッラー | 2003.3.16 | <おおゆみこサンバ化日記> |
●安中とコナオの結婚式で,正式の披露宴だというのにヨリキチくんは遅刻してきた。お客が全部着席して,正面の扉が閉じられ,新郎新婦の入場を待つばかりだというのにまだヨリキチの席は空席である。
「新郎新婦が入場するとき,そのあとから付いて入ってきたらどうしよう」と我々は心配した・・わけはないけど。しかし,さっき午前中にちゃんと電話かかってきてたのにねえ,分かっているはずなのに一体どうしたんだ。それに,ただでさえ目立つんだからなあ,このタイミングで入ってきたらすごいよね,と言い合った。が,ヤツはホントにそのタイミングで入ってきたのであった(いや別に新郎新婦と一緒じゃないけど)。なにやら黒のゴージャスなマラボーの付いた(「コートか?」と思われるような)ドレスを着て。脇のドアからではあったが,やっぱり思い切り目立っていたのである。
私のそばを通るとき,ヤツは「寝ちゃった」と言った。午前中に時間など確認しておいてその後寝てしまったらしい。前日にブラジルから帰ってきたばかりで時差ボケ気味なのだ。
●木皿儀さんもかなり時間ぎりぎりにやってきた。木皿儀さんはたいがい早めに来ているのにねえ,どうしたのかな,とこれも我々はちょっと気にしていたが,ギリギリに現れた本人は,「早く家を出すぎて,時間があると思ったから秋葉原に寄ってブラブラしてたら遅くなっちゃった」
こういうパターンが彼には実に多い。基本的には彼は「間に合わないような時間に家を出る」ことはぜったいと言っていいほどないのだが,来るはずの時間に来ない場合は,待ちくたびれて近所ですでに飲んだくれてしまっている場合がほとんどだ。
「うさぎとかめ」の寓話を思い出す。その話を大人になってから聞くと「でもいくらなんでも,うさぎだって実際には寝たりはしないよね,だから結局足の速いのが勝つんだよな」と思うが,木皿儀ウサギは,寝ないまでも思い切り油断して結局はカメに負けてしまうってことを地でいっているのだ。こんなに寓話やことわざを体現してくれる人もない。
「私が遅刻する場合は,あと,道に迷うんだよね。私の方向音痴のDNAはかなり強力なんだけど,それなのに私は地図をちらっと見たら『ああ分かった』ってもう放りなげて勝手に歩き出しちゃうから。迷って3倍ぐらい時間がかかる」
自慢するところと違うだろ,おい。これは「急がば回れ」という諺の見事な反面教師の見本である。「急いてはことをし損じる」というのもあるな。
●キサラギウサギは実際には眠らないが,よりきちは実際に寝てしまって遅刻するのだ。 ブラジルでも,沖縄のオ・ペイシのユウジさんと7時に待ち合わせたのに,姿を見せたのが11時で,ユウジさんにすごく叱られたそうである。
「ブラジル人よりひどい」と言ったユウジさんに
「ブラジル人にもよく怒られます」
……だからイバルなって。
●私自身も時間についてはそれほど大いばりで人のことを言えるほうではないのだが,それでも,時間のことをあまりにも気にしていないように見える人を見ると,怒るというより不思議な気がしてしまう。かつて会社勤めをしていたころ,部下らしきものもいたのだが(最盛期には3人も!)そのうち一人の女性が,遅刻魔なのである。打ち合わせなどの時間にもこないな,と思って家に電話を入れるとたいがい居てしまう。そして
「あ〜,今,家を出ようと思っていたところなんですう。急いでいきますから,あと30分で着きます!」
彼女の家は,そもそもいくら急いだところでさすがに30分で会社に着くような場所にはないのである。
「30分で着くわけないでしょ」
「え,そうですか,そんなことないです,大丈夫です」
・・大丈夫だった試しはない。こいつは,時間の計算がそもそも間違っているのだ,と毎回いつも呆れていた。
●どうも世の中には,2〜3種類の時間感覚というものが存在するようなのだ。そのうち1種類は,あきらかに「ユル〜い」時間感
覚だ。アラブ人の世界では,人が約束に数時間程度遅刻しても「インシャー・アッラー」(神のみこころのままに)ということで,あまり問題にならないとも聞く(ほんとうかどうかしらないが)。そういう哲学を持ってカリカリせずに人生を送っていけたらええなあ,とも思うが,とりあえず多忙な日本のそのまた多忙な東京で日々を送る青少年及び中壮年たちはなかなかそうもいかない。
遅刻魔の時間感覚は,どうやら,実際の30分を1時間ぐらいの感覚で捉えていて,たとえば家から会社にはそのくらいで充分に着くと大まじめで踏んでいるのである。ところがなぜか毎回毎回,ふしぎなことに,時間は自分が考えているよりもはるかに速く過ぎ去っているのだ。あるいはもしかすると,自分がものすごく手早くものごとをテキパキこなしているという「妄想」を持っているのかもしれない。実際にはごく普通に手間がかかり,「あら?」気づくと予定の倍の時間がかかっている。それは別に,とりわけモタモタしていたわけではなく,最初の想定自体が無謀だったのである。
●自分が待たされたときは怒る,のならまだ見込みがあるとも言える。自分が待たされているときもあまり気づいていない場合,修復?は相当難しい。「神のみこころのままに」という世界に生きているので,時間にカリカリうるさい人のことのほうが信じられない。
●私の得意の「性格分析」を応用して言えば,「思考や行動になんらかの枠組みを持っていて,その枠組みに照らして『判断』したがる」タイプ<J(判断)型>と,その逆で,枠組みそのものが,ないか,またはあまり強固ではなく,その分新しい状況に自分をすんなり順応させていく「臨機応変」なタイプ<P(知覚)型>という分け方が存在する。時間を守ることに価値をあまり感じないのは後者だろう。事態は流動するものだし,そのほうが面白い,その都度合わせていけばいいのだ。一方,J型のほうは,枠組み(たとえば計画)そのものが変動することには弱い。待ち合わせた相手が遅刻してくることは,枠組みを台無しにすることなので,赦しがたい。
●スローライフ,ということばが近頃話題ではある。せかせかと焦ってものごとを急ぐのではなく,ゆったり余裕を持って生きようと言うのだ。インスタントの食品や外食やコンビニ弁当ですますのではなく,食事も自分で作って食べよう,できることなら素材を吟味することにも時間をかけて・・。食の世界であればたとえばそういうことがスローライフ,だ。そのとおり,とは思う。人間,焦って走ってどこへ行こうというのであろう。どこへ「到達」しても,その先を目指したくなる。きりがない。きりがないのなら,どこかへ到達しようと焦るより,到達しようとしている道のりそのものを,じっくり楽しんだ方がいいのではないか。そうやってゆとりのある精神でゆとりのある生活を楽しむことこそが,これからの世の中には必要なことなのではないか。
とりわけせっかちで焦りがちな私には,分かっていても難しいこと,ではあるのだが,そういう思想には大いに共鳴する。そう思うとき,枠組みに囚われすぎることなく臨機応変に,現れてきたものごとを楽しみながら対処できるタイプの人が羨ましくなるし,見習いたくもなる。
●が…。やっぱり言いたい,そうは言っても,約束した時間を守らなかった場合,相手の時間というのはなんらかの形で失われることになるのである。そして場合によっては,相手から「余裕」を奪う結果になることがままある。相手だって「時間をちゃんとかけて」ものごとに取り組みたかったのだ。
もちろんここでヨリキチを責めているつもりはない,ま,ヤツはめったなことではめげないという性格を持った,珍しくも有り難い存在なので,話のダシにしているだけである。披露宴に遅刻してきたことではただ「本人がヘンに目だっただけ」だしね,別に私にゃ文句はない
(^_^;)。 (注:よりきちの名誉のために。遅刻者続出でリハができなかったAESAのパーティのときは,彼女は遅刻しなかったどころか,ダンサー陣にきちんと連絡を付けてかなり早い時間に来るよう段取りしてくれたのである)