| 鍼はライブだ!? | 2003.2.16 | <おおゆみこサンバ化日記> |
●さて,1996年10月より,リベルダージニュース紙面に連載し続けた「サンバ化日記」も,ついに紙面を離れ,基本的にインターネット対応のみでの展開となった。連載開始した日付の確認のために今見てみた第1回目は,まったく「ちょっとしたコバナシ」風であり,「某月某日,ライブをやる・・」云々と,文字通り「サンバ化日記」であったというのに,どこをどう間違って,こないなセッキョーくさいページになり果ててしまったのであろう。やっぱババア化が原因か。おーゆみこのババア化日記と改名すべきか。
● ま,それはともかく。インターネットの普及やおそるべし。これも何年前のことかもう確かではないが(つい最近のことと感じるのだが)私がインターネットという言葉を最初に見かけたのはとある新聞記事だった。まだ,これから実験的に大学や企業の一部のコンピュータを結んでいくのだという話の段階で,それがどんな役に立つというのか,さ〜っぱり私には想像がつかなかった。その当時,「パソコン通信」をやっていて,それなりにコンピュータと電話回線を使ったコミュニケーションについてはある程度のイメージを持っていたのに,それ以上は飛躍しなかったのである。
● とある知り合いの会社に翻訳の仕事をもらいにいったときも,女性社長に「うちはこれからはホームページ制作もやっていこうと思うのよ,どう?」と言われたけれど,さっぱりピンとこず「はあ・・」と曖昧な返事しかできなかったのは今から考えるとちょっと悔しい。そこでもっと真剣に考えていれば今頃バリバリの制作者になっていたかも〜〜(これでも最近はヨソのHPを作る「仕事」も一応やったりはしているけどね)。
●テレビ放送開始50周年とのことで,いろいろ特別番組をやったり新聞などで特集記事が掲載されたりしていたが,その中で,テレビの黎明期にはラジオの方が幅を利かせていて,NHKなどでもラジオ担当はエリートだったが,テレビはバカにされていたのだ,というようなことが書いてあった。今から考えたらウソのような話だ。ラジオには悪いが(ラジオだって独自の魅力はあるが),映像も送れるテレビの方が種々の大きな可能性があることなんて,誰でも想像できそうなものである。が,しかし,けっこうできないものなのだ。今あるもので十分に満足していたら,別にこれでいいじゃん,と思い,それ以上の必要性が思い浮かばない。パソコン通信を(しかもワープロで)やっていた私も,別にそれで満足していたのである。そういえば,ニュース編集もワープロでやっていて何の文句もなかった。友人がやはりサークルのニューズレターを作る担当になったのでコンピュータを買いたいと言っていたときも,「ワープロだって十分にできるよ?」なんて真顔でアドバイスしていたのである。今となっては前言撤回して土下座したい気分だ(おおげさ)。
● 最近は,以前にも増してコンピュータやデジカメや,その他なんでもサイクルがむちゃくちゃ早い。便利な新機能をもった機種がどんどん次か
ら次へと出てくる。買ったばかりのものがあっという間に旧式になる。そういう中にあっては,「今あるもので満足」するという性向はそれなりに「身を助く」ところもある。そうでなければやってらんない。私も,新しいものを何か買うと,1カ月ぐらいはそれについてのフォローアップ情報を求めてパソコン雑誌などを買うが,2カ月も経てばもう買うのを避ける。そろそろ次なる新機能の紹介がされ始める頃である。それらに接すると精神的に動揺するので(^_^;),溢れる情報に対して「鎖国」政策を採る。電気店などにも近寄らない。3年ぐらい「鎖国」し続け,もうそろそろ買い換えようかということで「開国」すると,世の中はすっかり様変わり,とでも言いたくなるくらいで,口をぽかんと開けて「あんれまあ!なんて便利になっだごど!」と感嘆することになる(するとしばらくの間物欲まみれになってしまって困ったものだ)。
● だがしかし,便利にさえなればいいというもんでもない,とも思う。例えば携帯電話の普及で,どこにいてもだれにでも連絡が取れるのがあたりまえ,になってしまい,そうなると便利は便利だが,たまたま何かの事情で連絡が取れなかったりするとものすごくイライラしたり心配したりする。少し前なら,連絡が取れなくて当たり前で別にいらいらしようもなかったようなときでも。あるいは,携帯に頼りすぎて「いざというときは誰かに電話すればいいや」とたかをくくり,飲み会の約束があって事前に行くお店の名前や場所や電話番号を聞いていたのにメモもせずに出かけ,出かけた先で誰の携帯にもなぜか連絡が取れず,すごすご帰ってくるはめになったこともあった(号泣)。遅れて行くよと言っておいた私のことを他の人たちも待ち続け,いったいどうしたんだろうと心配していた,とあとで言われた。落とし穴であった。
● 「便利」は,ほんとうに,キリがないのである。便利になることに追いまくられる気がするし,便利になってものごとがすばやくできて,その分時間が浮くかというとそんなことはなく,世の中みんながそうだからそれが単に新しいスタンダードになって,むしろ前より忙しくなったりするのだ。それに,便利になりすぎたせいで,プロセスを楽しむという部分がどんどん薄くなっているということもよく言われることである。
「便利」だけではなく「刺激」もそうだ。新しい面白いことも世の中にはたくさんできてきたのだが,それがあたりまえになったらすぐ色あせる。テレビも今は当たり前で,映像面でも特撮で興奮した時代はもうとうの昔で,今はリアルなCGが当たり前。どんなエクサイティングな場面でも「作れる」。面白い…・だろうか?
そんなふうに計算して作るものが,どれだけ面白いか,なんだか私にはよく分からない。いや面白いのは分かるのだが,驚けない自分がつまらない。そういうものは,作っている人が一番面白いのだろう。見ている側は…どうなんだろうか。
● おっとと,また例によってセッキョーくさい展開になってしまった,ほんにババア化には困ったものである。 でもせっかくだから,お約束の展開をとりあえず照れながら言っておこう,「自分の体で作って,感じて,何が起こるか分からない一回性のものである音楽,とくにアコースティックな音楽,つまりは,サンバ!は,やる側も見る側も,面白いよ!」
● そういえば。(HP化して字数制限がなくなったので,長文癖のある私に歯止めがきかない…) 私はいま,とあるツテがあって毎週一回,格安(500円!)という鍼灸治療に通っているのだが,3カ月ごとに担当してくれる人が変わる。今年1月からの先生は,実は自分はクロマチック・ハーモニカを演奏し,一時はプロになろうかと思ったのだ,と施術しなから話してくれた。結局それで食っていくことは断念して,鍼灸師の資格をとって自立するために勉強・修行していて音楽からは離れていたが,最近少し余裕ができたので,久しぶりにライブをやるのだと言っていた。昨年の夏に担当してくれた人も,なんと昔ウニアンでちょっと浅草にも参加したことがあったという人で,やはりラテン系の音楽でプロのドラマーを目指したが断念して鍼灸師になったという人だった。この世界にはそういう人は多いんですよ,と先生は言った。どちらの先生も,転身したこの仕事はとても気に入っていると言う。鍼治療というのは,患者さんの微妙に違う体と直接に対峙して,すべてのケースが異なる「一回性」のもので,治療の時はいちいちとても緊張するが,その緊張感が心地よいのだという。「アコースティックな音楽に通じるものがあるんですよ,ごまかしがきかないしね,一回一回違うしね。面白いですよ」
● やっぱり,本当に生きている面白さ,ってのはこういうところにあるんじゃないか,と思ったりする。ライブの面白さ。だって「ライブ」,って言うくらいだもんね,そりゃ,「生きてる」さ!