サンバはスケベ? | 2001.8.11 | <おおゆみこサンバ化日記> |
●武蔵小金井のパレードの翌日,こんなメールをいただいた。
「昨日、武蔵小金井で生まれて初めて、サンバを見させて頂きました。 (中略)正直言いまして、サンバは、すけべ親父が見るもので、それを見るのは恥ずかしい事
だと思っていました。ですが、実際に見てみたら、スケベといった低次元のものではなく、躍動感に満ちた 血湧き、肉踊る演奏、歌、素晴らしいリズムで、踊らずには居られない衝動に駆られました」
● これはもちろん,とても嬉しいメールである。が,「サンバは、すけべ親父が〜」のくだりはちょっと苦笑ものだ(いや,決してこれを書いた人を問題にしているのではない)。
● 某女性の曰く,某チームが出ていたとあるパレードを見に行って,とても楽しかったのだけれど,最後の広場で観客を整理していたロープをわざとはずして,観客が一緒に踊れるようにしたのだそうである。そうしたら,酔った観客がなだれこんで,ダンサーに触りまくった。
「あれは残念だったな,嫌な光景になってしまって。ちょっと不用心すぎたね」。
「やっぱり古いチームはその辺は上手だよね」という話になり,
「ダンサー出身の人が年を経てスタッフに回るようになったりして,そのあたりの勘所がよく分かるんだよね」。
● なるほど。それで私は思い出した。知る人ぞ知る?私もダンサーであったときがあるのだが,最初はスルドだった。だが,注目してもらいたがりの私は,被写体になりまくりのダンサーたちが羨ましくてならなかった。「休憩時間ですらカメラを向けられる」ことを,当時の私は羨ましく思っていたのだ!
それで我慢できずにダンサーに転身した。そのとたん,しつこくカメラを向けられることが,必ずしもいつも嬉しいわけではないことが身にしみた。明るい顔でカメラを向けてくれる人はいい。ところが,カメラ小僧は,概して「無表情」に,胸や下半身ばかり狙って撮るのである。それはキモチ悪かった。
またもや「あまりカメラを向けてもらえない」ポジションに(ポジションの問題だけか?)に戻ってしまった私は,再び「ダンサー,いいなあ」と実はしょうこりもなく思っているのであるが,脳天気な感覚も経て,かつ嫌な気分もしっかり味わって,「大人になった」? 両方経験してみないと本当には実感できないこともあるのだなあ,と思う。みなさまもリベジ生活?の中で,いろいろ幅広い経験を積んで視野を広げて下され・・ってなご教訓もあり。
● ダンサー時代,某・関東北部県の青年商工会議所の総会後,公園で行う親睦会で少人数のパレードをするという営業があった。しかしそれは最悪だった。親睦会場にはステージが作られ,そこで他にも出し物があるのだが,Tシャツ・ショートパンツにブーツという出で立ちでジャズダンスを踊るという出し物に冠されたMCが「それでは,お待ちかねの『お色気』ショー!」・・・・聞いていた私たちがカタマった。これが「お色気」ショー?じゃ,じゃあサンバはいったい・・・。続いて,コンパニオンのお姉ちゃんたちが登場し,なんと,ステージ上で客とじゃんけんをし,負けると「履いていたパンティを脱いでその人にあげる」というゲームを,当時はやっていた「ランバーダ」の曲をBGMに繰り広げるのである。私たちは完全に戦意?喪失状態。しかたなく?パレードをするも,雄二さんなどは額に青筋をたてっぱなしで,近づこうとする酔っぱらい連中を排除するべく走り回る。ところが案の定,というか,主催者から「2本目のパレードはもっと客に近づいてやってくれ」と要望された。しかしそれは断固拒否。それどころか,バテリアでダンサーを隠すように(^_^;)(^_^;)パレードしてしまった。リベジ草創期の話である。
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むろん,サンバに「お色気」を完全否定するものではない。性は生,セクシャルであることは生きる力にもつながる。だが,「スケベ」の語感の方が合うような状況はちょっとね・・。
あるバテリア女性のお母様も,サンバをやる,と言ったとき「おまえ,それは恥ずかしいものじゃないのかい?」とおっしゃった。でも,何度かパレードを見に来て,すっかり「とてもいいもんだね!私もやりたくなっちゃうよ」と大喜びなさったそうだ。
状況を上手にコントロールしつつ,スケベの入る余地のない,でも色っぽく凛々しいパレードで,「誤解」している人々をどんどん目覚めさせようではないか!(「つけべ」の入る余地はあるらしいが)