「有史以前」の巻 | 2001.1.12 | <おおゆみこサンバ化日記> |
リベルダージの10年史を回顧する連載をしているうちにリベジは12年目に突入してしまったが、おーゆみこ自身はサンバ歴16年目に突入。リベジができる以前にもいろんなことがあったものである。てなことでちょろっと「有史以前」編をば。
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サンバを始める前の話。 浅草の少し前、麻布十番のお祭りで初めてウニアンのバツカーダを聞いたときに衝撃を受けた私は、「サンバって面白い!」と思い、レコード屋に行ってさんざん探したあげく、輸入盤で「サンバ」らしきレコードを見つけて買い、わくわくしながら聴いてみた。でも・・・・・「ん〜〜、なんか違う・・」
私はなにしろそのときは打楽器の迫力に魅せられていたので、おじさんがボソボソ歌う系の「サンバ」は正直言って期待はずれだった。ああいうドカスカしたヤツは「サンバ」って言うんじゃないのかな?とまで思った。
それで、一応ラテンミュージシャンである父親に電話して聞いたのである。
「あのさあ、サンバなんだけど、歌の入ってないヤツ、楽器だけでやるやつってなんて言うの?」
「うーん、そりゃ、ショーロっていうんじゃないか?」
それからしばらくワタクシは、ドカスカドカスカのバツカーダを「ショーロ」だと信じておりました。
「癒し系」なんぞと言って最近人気急上昇のショーロだが、その当時はほとんど知名度はなかったのである。ところでエウロパのCDもよろしく。
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サンバを始めたばかりでスルドをやっていたころの話。 スルドが大好きで大好きでたまらなかった私だが、とくにあこがれていたのはカッティング(ベースのリズムに細かい「オカズ」を入れる)だった。1年目はプリメーラ(後うち)、2年目はセグンダ(1拍目)を修行し、ついに3年目にしてテルセイラ(カッティング)を奏することが許された。練習にいそしみ、浅草当日は、舞い上がるほどワクワクドキドキ。かっこいいカッティングで練習の成果を発揮するぞ!と燃えていた。
ところが。
当時の所属チームであるクルゼイロが二天門からいざ出発!という瞬間、一天にわかにかき曇り・・なんと、突然豪雨が。目も開けていられないほどの雨。しかしもうパレードをやめるわけにはいかない。終了時間も近く、待つこともできない。仕方なく我々は豪雨の中をスタートした。
不運なことに、私のスルドのヘッドは両面、天然の皮だった。豪雨でひとたまりもない。ベヨンベヨンになってしまった。叩いてもぜんぜん音にならない。カッティングどころではない。
先輩メンバーが「一発打ちにしたら」と言ってくれたが、私は言った。
「嫌ですぅ!! 格好だけ、フリだけでもいいからカッティングやらしてください!!」
ベヨンベヨン、と情けない音しか出ないスルドを「かっこよく叩く」フリをし、顔はやけくその笑顔だが(びしょぬれのダンサーたちももう笑うしかないという顔だった)、心の中は天とおなじく土砂降りだっ、た・・(プロジェクトX風に)。
血迷ってダンサーになったころの話。 CMのエキストラにサンバ隊が欲しいという話で、かり出されて出ていった。プリマハムのCMで、指示されたとおりに「プリーマ・ハーム・フェーア!」と連呼しながらブラジル人ダンサーにまじって踊っていたら、演出家が全体を見渡して、「あなたとあなた、こっちに来て」と、私ともうひとりの日本人女性ダンサーを呼んだ。先頭の横断幕の両端を片手で持って踊れ、というのである。
「まいったなー。先頭だよ、目立っちゃうなあ」なんぞと思いながら喜んで踊っていたが オンエアされたCMを見たら私は画面のはじっこに左半身しか映っていなかっ、た。