| 名は体を表す | 2001.12 | <おおゆみこサンバ化日記> |
●しばらくダイエットに励んでいたのに、少し油断したらまた戻った、どころかリバウンドした気配。さすがに寒くなってきて去年からの冬服を出してきたら、またもや「去年まではそうでもなかったのに、今はキツイ・・」というのが増えていた。体重を測っていないから厳密には分からない。ダイエットするには「体重をきちんと測ることが不可欠」と言われるが、とてもではないが現実を数字として直視する気になれない。ある程度ダイエットして、そろそろショック死しなくてもすむかな、という感触が出てきた頃に体重計に乗って、その数値をこそ「出発点」にしようと思っている。それまでの分は「なかったこと」にしたいと思っている。・・・・のはずだったが、「出発点」への道のりがまた遠のいてしまった。
もういちど気を取り直さなければ。 ● ひょっとして「おおゆみこ」という通称がいけないのでは、と思ったりする。思考は現実化する、のであり、現実は概念の後を追ってそうなるべく変化してしまうのだ。「大」ゆみこ、と名乗ったときから、まごうかたなき「大」になるべく現実がそれを追い始めた。いまや「こゆみこ」との体格差は広がる一方だ。「おおゆみこ」と名乗り始めたとき、背は高いものの、横幅は、いや決してスリムとは言わないが、とくに「太っている」というワケではなかったのである。「おおゆみこ」ではなく「せいたかゆみこ」ぐらいにしておくべきだった。「あしながゆみこ」でもいいぞ。あるいは、「おおゆみこ」の前に「(背は)おおゆみこ」といちいち但し書きをつけるのでもいい。または、「おお」を「大」でなく「王」にしてもいいな。それなら現実が追いついたときリッチになっているかもしれん。でも表記から行くとそ ●てなことを思い、とりあえず姑息な手段で通称の表記だけでも「おおゆみこ」から「おーゆみこ」にすることにしたのだった。この欄のタイトルも変えてもらった。立派な公器たる(?)リベジニュースでこんな私的なことを言ってて(それも1ページも使って)いいのかしらんと思いつつ、みなさんにもお願いである。「おーゆみこ」をよろしく。
● 「おおゆみこ」とインターネットなどで名乗っていると、「おお」が名字だと思っている人がいる。「おおさん」とメールで呼びかけられて苦笑。その人を含むグループにも「おーゆみこ」と改名(?)した旨を同報で伝えたら、次のメールからは「おーさん」と呼ばれるようになってしまった(^_^;)。
そういや以前にはパソコン通信で、「おおゆみこさんとこゆみこさんて、姉妹なんですか?」と聞いた人もいたな。姉がおおゆみこで妹がこゆみこ? そんな名前を娘たちにつける親がどこにいるか!
●さて、こんな個人的なよしなしごとに1ページ全部を割いてしまっては申し訳ないから、例によって一般化&ゴキョークン化を試みる(かなり無理があるが)。
つまり私は、概念やイメージの大切さを言いたいのであるよ。心に鮮明にイメージしたことというのは実現する。ただし心のパワーには善悪を判断する機能はないらしく、心配事もそれなりに実現されてしまうのが厄介なところだ。 ● 先月号でビシ・プレヂデンチ金沢氏がリベルダージの将来像について理想を述べていた。具体的な方法に関しては必ずしも全員が意見一致するなんてことはなさそうだが、方向性ぐらいは共有できると思う。そうやって「なりたい姿」をみんながイメージすることで、たしかに私たちはそうなっていけると私は信じられる。目の前だけを見ると難問山積のときこそ、目を遠くに向けてみるのだ。到達したい場所を見はるかすのだ。それは逃避ではない。そうすることで、失敗も修正できるし、迷いも解消する ● なにも私は神秘主義的なことを言っているわけではない。世界のすべてのことは一瞬一瞬の選択が積み重なったものだ。その瞬間的な選択に際して、はっきりしたイメージがあればそちらへ一歩でも近づくほうへ進む能力を人は持っているのである。てなわけで、「パレードをたくさんやってお金をたくさん稼ぎ出し、製作作業の単純労力部分などは外注できる、よってサンバを純粋に楽しむことができる」チームというイメージを皆さんもしっかり思い描こうではないか。
私ももういちどタンガを着て華麗に踊る自己イメージを思い描くとしよう(無理があるって?)
れだと「おうゆみこ」にすべきか・・。「おーゆみこ」にして少しあいまいにしておくか。
|
liberdigiトップ へ
|
おおゆみこ |
日記才人の投票ボタンです。 |