〜新聞沙汰?〜    2001.3 <おおゆみこサンバ化日記>

●太田丸はシャカラで「ふるさとに錦を飾る」(?)公演をした。とあるきっかけで、彼の出身地、静岡県の福田町の教育委員会主催でのコンサートが実現したのである。その教育委員会からの依頼でシャカラと自分の紹介文を書いた太田丸は、それが中日新聞に載ったと聞き、当惑しつつも「ボクが新聞に載った!」とやや得意げ。で、「新聞に載ったことある?」と私に聞く。  あるともさ。小さいときからセッキョーくさい文を書くのが好きだった私は何度も新聞や雑誌の投書欄に投稿し、しばしば載った。小学生のときイラストも雑誌に載ったことがあるのだぞ。自画像で、「Gパンのオスギ」とタイトル(私の旧姓は杉野なのである)。うぷぷぷ。いまでこそあたりまえだろうが、当時は小学生女子でGパンをはく子は少なかった。昔からほんの少しだけ周囲からズレたがる性癖を持っていて、しかもそれは決して定見がある故でなく単にあまのじゃくなだけなのである。現在の支離滅裂な境遇はその「成れの果て」であろう。  

● それはさておき、私はなんとメキシコの新聞にも載ったことがある。投書したわけではなく(^_^;)「事件」がらみだ。前にもどこかで書いたような気がするが、ベラクルスという町で、私はカメラを盗られてしまった。バスに乗りこもうとしたら入り口で前に客がつかえているのに後ろから押す奴がいる。日本ではよくある現象なので気にならなかったのだが、そいつらがグルのモノトリだったと分かったのは、他の乗客に肩をたたかれ、無残にバッサリ切られたバッグに気がついてからだ。自分のうかつさを悔やみつつ、しかしテキのプロのわざに一種感嘆のようなものも覚えつつ、しばしボーゼンとしていたが、カメラを取り返すのは無理でも保険請求のために証明書がいると思ってとにかく警察書へ行った。そこに警察詰めの新聞記者がいて、色々聞かれたので答えておいた。  その日の夕方にその町を発ったので新聞は見られなかったが、2年後にまた同じ町に行ったら、前のときに知り合った人がそれをとっておいて見せてくれた。「ニンジャが日本人女性襲う!バッグがハラキリされた」なんて見出しになっている(もちろんスペイン語)。でも一番おかしかったのは、私の日本の住所が所番地までごていねいに書かれていたことだ。

●それを見て解けたナゾがあった。前回、帰国後に知らないベラクルスのメキシコ人から手紙がきて「世界中の人と文通するのが夢なので文通してくれ」(^_^;)とあったのだか、いったいなんで私の住所を知ったのかと不思議に思っていたのだった。  

●カメラをとられたにもかかわらず、ベラクルスはお気に入りの町だった。なぜかというと、サンバチームがあったからである。夜、市庁舎前の広場で練習していたのに偶然出会って驚いた。それで2回目はカーニバルの時期にあわせて行った(ベラクルスのカーニバルはメキシコでは一番大規模で有名なのだそうだ)。以前に出会ったチームがまた練習していた。私はかなり強引に混ぜてもらい、パレード本番にもカイシャで出てしまった。今から考えれば、はなはだ迷惑千万だったろう。本番直前にわけのわからぬヘタクソなガイジンが割り込んできたのだ。私はさっぱりスペイン語が分からず、かたや向こうには英語が分かる人がだれもいない。こみいったハナシができないため、仕方なくやらせといた、というのがきっと真実だ。「スーカル・マシャード」のみなさん、今更ですがご迷惑かけてゴメンナサイ。  

●ベラクルスのカーニバルはサンバが主体ではなく(サルサのほうが多い)4つばかりあったサンバチームはどこもバツカーダのみで歌はない。そのバツカーダのパターンを私は録音し、帰国後、ちょうど発足するところだったリベジのメンバーに聞かせた。いま私たちがエンヘードの間にはさむ「ダン、ダダダダン」というバツカーダの出だし部分は(まあ一般的なパターンとはいえ)もともとはベラクルスのチームでやっていたのがきっかけでリベジにも導入され、それが綿々とつながってきたのである。ついでにいえば、リベルダージのシンボルが太陽なのも、帰国直後でメキシコぼけだった私がテキトーに描いたマーク以来である。リベルダージはメキシコと深い(?)縁があるのだ。  

●ベラクルスのサンバチームにはタンガ姿のパシスタはいなかった。日本からタンガダンサーが遊びにいったら、きっと驚きつつ歓迎してくれるだろう。それこそ間違いなく 新聞にも載ると思うよ。

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