〜「人生」とは祭りである〜    2000.7 <おおゆみこサンバ化日記>

●このところリベルダージには「取材が殺到」している。いや、けっして大げさではない。2ヶ月足らずの間に、すでに5件も取材の打診が相次いだ。ひとつは別ページに載せたNAVIの記事であるが、あと1件はすでに取材済みでゲラ原稿の校正中、あとは取材中または取材待機中である。すべて、なんらかの雑誌の記事としてリベルダージを取材したいというもの。もちろん、あいかわらずショーやイベントの打診も多い。

●ところで先月始めのこと、おおゆみこは講演を打つ『講師』としてデビューしたのだぞ。異業種公流セミナーの類を企画している会社からの依頼で、お堅い諸業種の会社から部長さんクラスが参加するセミナーで「サンバの魅力について」講演してくれ、ということで、講演のあとはショーも披露した。講師の私は後半は歌手に役がわりして「理論と実践」を地でいったのだった。 そのセミナーの基調のテーマは「非日常空間のニーズを探る」というもので、サンバはそのシリーズの締めくくりだった(他は「アメリカ大使館」とか「日本丸」とか「ホテル」とかだった)。たしかに企業の部長さんクラスの方々にとってはサンバは「非日常」であろうが、私たちにとってはもう思いきり日常だよねえ、などと講演前日のリベジの飲み会で皆で言いあっていたものだ。「私にとっては土日が日常、平日は仮の姿」と言い切ったのは力王・頼ちゃんである。金沢さんも「会社は週末の疲れを取る場」と言った・・・・・。  ダイジョウブかキ○○ンさん。

●サンバに限らず、歌や音楽やダンスが「日常」であることの素晴らしさ、本来は社会はそうあるべきではないか、なんてことを私はその講演でしゃべり(いえ、「それで会社では疲れを取るべき」とは言いませんぜ)、そうはいってもカーニバルはやはり「ハレの日」なのだ、ブラジルでも、そしてここ日本でも、カーニバルは単なる乱痴気騒ぎではなく、ひとつのものを中心に日ごろ皆の心や力をまとめあげてきたものが花開く場、こんな達成感を味わえるものはそうそうありゃしません、とビデオなど見てもらいながら力説した。そしてまた、サンバは演奏者、ダンサーのみならず、観客までもが一体となってエネルギーを循環させる場なのです、と伝えた。決して、単に(その要素も大事ではあるけれど)華やかな衣装のおねーちゃんたちが踊ってるだけのもの、それ見てウハウハと喜ぶだけのものじゃないんです、と。  

●その後のショーで、この3つめのポイントは参加者にとって体で実証されたと思う。はじめはおずおずとであったけれど、最後には「日ごろこんなふうに汗かくことなんてなかった」というおじさまたちが、額に汗を光らせ、満面の笑顔で踊ってくれた。セミナーの終了後、何人もの人が私のところに『楽しかった、ありがとう』とわざわざ言いにきてくれた(取材殺到、はもしかして巡り廻ってその余波なのか?)。しかし私はといえば、このワタシでもさすがに「講演」はあがっていたらしく、ショーに入った途端から、笑顔で元気に!歌っているものの、実は激しい頭痛と胃痛に苦しんでいたのであった。珍しくアタマを使ったからか? 非日常は疲れる・・・(^_^;)。

●話は戻るが、取材の打診にわりと共通しているのが「祭り」というキーワードだった。季節柄もあるのだろうが、私は『やはり人々は祭りを必要としている』と思った。おりしも故・遠藤周作氏のエッセイを読んでいたら、そのとおりのフレーズが出てきた。氏は言うーー「生活の中に人生を!」 家庭や会社は生活だが人生ではない。そこで氏は、素人の劇団やコーラスグループを主宰し、年に一回、大きな劇場で公演を打った。「『生活者の自分』以外の自分の人生」を人々に見出させる。心がときめき、精神が緊張する瞬間、それこそが人生、それが「祭り」。「文化人類学者の先生たちも言っているが、人間というのは生活の中に祭りをこしらえなければならないんです」と遠藤氏は断言する。生活の中に埋没した心が打ち震えるような体験が必要なのだと。「そーだそーだ!!」と私は百万回激しく肯いてしまうのだった・・・「祭りの中に生活が埋没している」というのもどーかと思うが、という声もかすかにするのではあるが。

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