〜信じ「込む」人は救われない〜 | 1999.12 | <おおゆみこサンバ化日記> |
●ライフスペースとやらの「The
GURU」の会見や雑誌記事などを、そのあまりの荒唐無 稽さにゲラゲラ笑いながら見たり読んだりしていたのだが、突如としてとんでもない記 憶がよみがえってきた。私はあのGURU本人に、シャクティパットとやらをされたことが
ある!!
●知人に誘われて断り切れず、ライフスペース主催の公開セミナーに行ったことがある のだ(紹介するための「お試し」なのでタダだった)。その当時はまだ「弘次さん」と
親しげに呼ばれていたThe GURU本人が参加者の前で何やら講演をし、最後に参加者一同 に軽く「シャクティパッド」ーー頭をポンと叩くーーをした。私もそれをされたのだ。
●報道などで読むと高橋氏の現在言っていることがあまりに変なので、かなり経つまで その事実を思い出せなかった。私が公開セミナーで話を聞いたときは、あそこまで変で
はなかったんだもん。むしろ言っていることはけっこう人を勇気づけるような内容で、 それなりに感じるところもあったと思う。けれども私自身はいずれにしてもそういう「
教団」や「教祖」みたいな構図が好きでなかったので、その後のかかわりはお断りした 。それでも私を誘った人はそれ以上無理強いすることもなく「そうね、人それぞれだも
のね」と穏やかに言っていたので、そういう点でもその団体にそれ以上の違和感は覚え なかったのだ。私は結構です、でもこれが性に合う人は、まあいいんじゃないの、と思
っていた。
●そのあたりのことは報道記事などでも、かつての信者に「昔はあんなじゃなかった」 と言われているから、別に私の目が曇っていたわけでもないだろうと思う。しかしどう
も、時間的に考えて、私が見たのはぶち壊れる寸前のGURUだったようだ。「トマトとソ バしか食べない」とかもすでに言ってたし。
●「定説」・・もう少し早く登場していれば今年の流行語大賞になったかもしれないイ ンパクトではある。しかし、もともとはかのグル殿も「そ んなのあるわけないじゃないか」というような世間の「常識」に対し、そうでない見方
もこの世にはあるのだ、というようなことを言っていたように思う。凝り固まった考え 方をほぐし、ちょっと違う角度から世の中を見てみる。そういう柔軟さは確かにこの世
を楽に生きる技術ともいえる。妙な説であっても一顧ぐらいはしてみてもいいかと思う 。しかしそれを「定説」と呼ばれてしまうとねえ。一番笑ったのは「定説では科学的に
は死ぬと体温は0°Cになる。(例のミイラ化した死体ーではないと彼らは言うがーー の)体温は11°Cだった、したがって死んでいない」というくだり。をいをい。室温
というものがあるだろうが。死体が室温にかかわらず0°Cになるなら便利だぞ。ビー ル冷やしちゃうぞ。・・・・いや失礼、不謹慎ですね。
●「異説」ならむしろ良いのだ。異説には耳を傾けてみる価値はある。煮詰まった頭に 思わぬ風穴を開けてもらえるかもしれない。でも「定説」は疑ってみるがよい。思い込
んでしまっていること、というのはえてしてろくなことがない。99%信じていても、 1%の疑いの余地は残しておきたい。
●ライフスペースも「異説」を述べているうちはまともだった。それを無理矢理(とし か思えない)「定説」にしようとしておかしくなってきたのであろう。まあ、もう少し
「まとも」な論議の場面においても、柔軟さがなく頑なな態度は怪しい宗教と変わらな い。(しかし、「信念」を持っていることと柔軟であることが矛盾するわけではない、
とは言っておきたい)。
●さてグルにシャクティパッドされた私は「その後なにか良くなったのかなあ」(マル メラアダ阿部さんのまじめな疑問)。ん〜〜〜〜〜。分から〜〜ん。でも少なくとも悪
くはなっていない・・・と・・思・・う・・が。ご希望の方にはthe GULU直伝のお おゆみこがシャクティパッドしてあげますぞ。都合の悪いことは忘れるようになる、ぐ
らいの御利益はあるかも。
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