サンバカーニバルって何? 超基礎知識!

カーニバルってのはそもそも、日本語に訳せば「謝肉祭」。キリスト教の行事とのことで、「断食」に入る前に食物となってくれる「肉」に感謝を表してお祭りをするということが起源らしい。カーニバルが終わると、40日間断食しなければならない・・・はずだが、そういうことがちゃんと行われている気配はあまりない(^_^;)。いや、さすがに40日間は無理としても、ちゃんとしたカトリックの人はこの期間中の2日間ぐらいは肉食は断つとのことで、そのくらいはやっているのかもしれないが・・。このあたりの正確な知識は私も持っていないが(来年までには調べておきます)、なんとなく、カーニバル自体は純粋にキリスト教のものというより、土俗の宗教と習合したものなのではないかという気がする。でもまあそのあたりはとりあえずおいておいて、なにはともあれ、この期間(年によって違う)「肉が食べられてありがたいよお」と言いながら?大騒ぎするのはブラジルに限らず、世界のあちこちで行われていることなのである。

それがブラジルでは、「サンバ」カーニバルと言うことになり、とりわけリオ・デ・ジャネイロのものは世界的に有名になった。むろんリオだけでなく、ブラジル全土でカーニバルは行われている。どんな小さい町でもこの期間はカーニバルである。世界的に報道される部分はその全国的なカーニバルのウチのごく一部なのであるが、しかしあのカーニバル会場(サプカイと呼ばれ、常設の観覧席が設けられている)でパレードするのはサンビスタの誇りであることは間違いない。

その「サプカイ」でパレードできるのは、ブラジルのサンビスタのウチでも「エスペシアウ」=specialと呼ばれるリーグに属する名門サンバチームのみである。このトップリーグに所属できるのは16チームのみ。そしてパレードはコンテスト形式になっている。エスペシアウのパレードでは満たさなければならない要件がたくさんあり、生半可なことではないのである。たとえば、後述する「アレゴリア」と呼ばれる装飾山車は8台以上(12台以下)出さなければならない。これはもう、上で何人も踊れるくらいの大きさで、高さも5メートル以上はあるだろうか。パーカッション隊も200人以上いなければならないとされる。さらに、アーラと呼ばれる、同じ衣装を着て踊るグループダンサーの固まりがこれまた20〜50単位ぐらいある。それぞれが100人以上のメンバーから成る。そう、全部あわせて・・・3000人から5000人がひとつのチームなのである。ちなみに、一般に「サンバ」というと思い浮かべるような羽根を背負った露出度の高い衣装を着たダンサーというのは、いわばチームの花形ではあるが、その3〜5000人の中でせいぜい十数人しかいない。実際に見た人が言っていたが、イメージに反して、サンバチームの大半はジジババ・・おっと・・けっこうな高齢者の方々によって構成されているのだという印象だったという。打楽器隊などは練習も厳しく、パレード中も基本的にはキビしい顔つきで真剣に叩いている。

そういう3〜5000人のカタマリがいったい何をしているかというと、無秩序に踊っているわけではなく、その年毎に決められた「テーマ」にしたがって、いわば壮大なオペラのごとく、あるストーリーを表現するべくパレードをしているのだ。テーマはブラジルの歴史や有名な人や、一般的に社会現象、自然、抽象的なものなど、なんでもあり。同じ衣装を着ている「アーラ」も、もちろんテーマに沿った要素の一つを表している。装飾山車アレゴリアも同じく。そして打楽器隊は、ストーリーを歌う「サンバ・ヂ・エンヘード」と呼ばれるテーマ曲を演奏しているのである。意外に知られていないことだが、もちろん歌手もいる。ただしリオでは管楽器の使用は禁止されている(他の地域では必ずしもその限りではない)。歌手はカヴァキーニョという弦楽器が弾くコードにあわせて歌うのである。

そしてパレードは専門の審査員によって10項目について採点され、順位が決まる。リーグ最下位になると大変である。下のリーグに落とされてしまう。代わりに下のリーグから上位のチームがあがってくる。サッカーのリーグのようなシステムなのである。だからチームの名誉をかけて、半端じゃない取り組みがなされる。一般のメンバーはわりに直前になってから集中して練習をするようだが、テーマの決定、筋書きの構成、衣装やアレゴリアのデザイン、テーマ曲の作成などはまさに1年がかり、その年のカーニバルが終わるか終わらないかのうちに翌年の活動が始まるのだ。ちなみに向こうでは真冬である8月現在、エスペシアウの来年のテーマは公式に出そろったと聞いた。

チームというのは基本的には地域コミュニティのようなものである。とりわけ黒人層にとっては、ブラジル人と言うよりもそのチーム(エスコーラ=学校と呼ばれる)に生まれ育った、という意識が強いくらいだ。たとえば名門中の名門である「マンゲイラ」というエスコーラはその名もマンゲイラという地区の住民たちだが、マンゲレンセ(マンゲイラ人)として生まれ、育ち、死んでいくのである。子供の教育や才能のあるものの職業訓練などもエスコーラの手によってなされる。「愛国心」を持って育つマンゲレンセたちにとってはもちろん、「自分の国」がカーニバルで勝つか負けるかは大問題なのである。

 

さてさてさて。かたや地球の裏側、ジャポンのトキオではアサクサでサンバカーニバルが行われる(キリスト教のカレンダーとは全くカンケーない時期ではあるが)。いろんな意味で、本家ブラジル・リオのものとは比較のしようがないくらい小規模なものであるが、やっている人たちはきわめて真剣である。そうはいっても上述のような、地域コミュニティに「生まれ育った」というほどの意識は持ちきれないが、仕事や家族と同じくらい、ときによればそれ以上にサンバが好きであるという人も多い。ブラジルの規模の10分の一、いや100分の一であろうとも、日本でそれらしきカーニバルをやろうと思ったら、半端な取り組みでは効かない。かくて我々リベルダージも、1年がかりで「テーマを考え、デザインを考え、構成を作り、曲を作って」「衣装やアレゴリアを自分たちの手で造って」「練習を重ねて」浅草に臨むのである。

サンバといえば、「ハダカに近いネーチャンが踊っているもの」という認識しか持っていない人がほとんどであるらしいのはいささか悲しいが、まあ縁のある人は分かってくれるだろうし、浅草サンバカーニバルを最後まで見てくれた人は(「本格派」チームは最後の方で出てくるので、猛暑の中で観覧に疲れ、帰ってしまう人は「本格派」のなんたるかを知らないままであったりするのだ)「なんか半端じゃなく頑張っているなあ」とおぼろげにも分かってくれるだろうと思う。あの飾り山車アレゴリア(リオの本家に比べれば笑っちゃうほどチャチではあっても)も、衣装もすべてこつこつメンバーが週末ごとに手作りしてきたものだ。日々地道な経済活動に邁進している方々には(いやサンバのメンバーも普段はフツーの勤労者であるのだが)馬鹿馬鹿しく見えるかもしれないが、魅せられてしまったものにしか味わえない世界、感動というものもあるのである。