2001年 LIBERDADE 式根島ツアーレポート

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9月21日(金)
 心配していたが、台風はあわやのところで去ってくれた。1日ずれていたらあぶないところだった。前日出航した東海汽船は、大島以外はどこにも接岸できず、客を乗せたまま帰ってきたのだ。だからこれからまた行く、と言って乗っていたおばちゃんたちがいたそうだ。しかしそれが木曜発の便に起こったらどうなることか。金曜便はすでに満杯だ。結局行かれなくなってしまった可能性が高い。間一髪である。それどころか、心配したようには揺れもしなかったし、おまけに、島では「晴れ」とは言い切れないものの、時折は太陽が顔を出す天気でかなり温度も高く、十分に泳げたのである。中の浦には魚がいっぱいいた。地震などで観光客が減ったのが魚には幸いしているのだろう。スノーケリングをしてかなりシアワセだった。しかし夜になったら風が強くなり、雨も降ってきてずいぶんと寒くなってしまった。明日来る人たちはどうなんだろう。
 それにしても。そんなわけでかなりラッキーで、スノーケリングができた時点で個人的には相当満足してはいるのだが、おもしろくない点がひとつ。きょう島に来たメンバーは9人。4カップルと私、である・・・。ちゅらさんの柴田さんではないが「に、似ている!」と叫ばずにはいられない(ちゅらさん観ている人にしか分からないネタ失礼)。60組のハネムーナーと「端数」の私、だったモルジブの悪夢が再現? 4カップルとも、日本人らしからぬスキンシップ旺盛な連中で、それにひたすらカップル単位で行動するので、いやがおうにも自分の「半端」を思い知らされてしまう。やれやれ。モルジブの時も今回も、別に私にパートナーがいないってわけじゃないからまあいいんだけど、やっぱりどこか薄ら寒い。
 泳いだ後に行った温泉の露天風呂で、カップル同士はますますいちゃいちゃして、だれかがお湯の中でパートナーの膝の上に座る体勢をとったら、別のカップルもそれをし、「まねすんなよ!」なんてふざけながらも、「じゃあ、ほらみんなで同じ体勢で写真撮ろ!」だとさ。「それを撮るのはワタシなわけね」といじけつつこゆみこのデジカメを向けるも、それまでも調子がよくなかったカメラは完全に壊れて写せない。じゃあ私のカメラがあるから撮ってあげるよ、と半ばやけくそで親切なワタシは自分のカメラをわざわざ取りに行って写そうとするも、今度は電池切れである。「やっぱしアタシどうしてもキミタチを撮したくないみたいだわ」  
 夕食後がなぜか長く、時間をもて余す。去年まではそんなことなかったけどなあ? あ、そーか、花火だなんだとイベントがあったんだ。しかし強風に雨も混じりそれどころではない。テレビなどみんなでウダウダ観ながら、正直なところイマイチ楽しくない。あしたもっと大勢くるのが楽しみだな。

 なんとなく白けたような気分にもなり(4×2足す1のゆえに?)疲れたし、これを書いてさっさと寝ちゃおうと、ひとりで2階の部屋(ここでもひとり孤独なへや!)にひっこんだら、開け放しておいた戸のそばに、いつのまにかなりゆきでまずギター弾きであるコユミコの彼氏とコユミコがやってきて、ギターを弾き、MDをかけ、パンデイロを叩きはじめ、それに他の人たちが加わり、ヨリきちは踊り、フミノは歌い、いまさらながらにパゴージ大会になってしまった・・・・やれやれ。もう寝ようと思ってたのに、いまさら盛り上がり始めるんだもんなあ。夜パゴーヂ
 夜中の1時を過ぎてもますます盛り上がる勢いだ。しかし責任者の私としては気が気でない。きょうは他に誰も泊まっていないし、宿のおばちゃんたちは別の棟で寝ているのだからいいはずだが、基本的に優等生な私の小心が「夜中の1時にこんなタイコ叩いて高歌放吟の踊り狂い、なんてことが許されるのかあああ」と叫んでいる。なもので、お願いだからタイコはもうやめようよ、と畳に坐ったままで懇願したら、翌日藤井さんに「おおゆみこが土下座してお願い」しているのに誰もやめなかった、と吹聴されてしまった。そう、確かに頼んでもちっとも止めてくれないので、私は部屋に引っ込んで戸を閉めてふて寝してしまったのであった。しかし眠れるはずもない。恐ろしいことに聞こえてくる声は、ヨリきちの「カジ姐もう寝ちゃったの? 起こしてこよう!」…。 「寝てるのを起こすとむちゃくちゃ機嫌が悪くなって、明日ワタシが責められるからカンベンして」とこれまた嘆願する藤井さんには見向きもせず、ヨリきちは「かじ姐、起きようよ〜〜」。あとで聞いたら、眠っていたカジ姐はよりきちに馬乗りになられ、スゴイ力ではがいじめにされ、部屋の戸口まで引きずって行かれたそうな。翌朝になって朝食に来るなりヨリきちにケリを入れるカジ姐であった。


9月22日(土)
 台風は行ってしまったはずなのに、前夜から強風及び大雨。どうなることかと気が気でなかった。夜が明け、雨はやんだけれど雲は厚く立ちこめ、風は相変わらず非常に強い。行いの悪い人々満載の本日到着組はとりあえず無事やってくるも、船はけっこう揺れたという。神津島へ行ってから戻ってきた船はもう接岸できず、この日の帰りの船は欠航になってしまったらしい。むちゃくちゃ寒い。きのう泳げたのがうそのようだ。到着したときアゴゴ太田さんは「こんなの南の島ぢゃない!!」と叫んだそうな。あとでみやげもの屋のおばさんに聞いたが、式根島でこの時期にこの寒さは異常だという。ふだんなら11月半ばになってやっと長袖を着るような暖かさで、9月のこの時期なら文句なく泳げるはずだと。きょう到着した人の行いがよほど悪いのは明白である。
 12:30から海岸でバーベキューの予定、気をもむが、手配してくれる宮川さんはしっかり大浦海岸にバーベキューの用意を調えてくれていた。来島前に予約するのを忘れてしまって、宿のおばちゃんに叱られながら昨日電話したのだが、すでに連休中は予約がいっぱいだという。「そこをなんとか」と私にしては珍しく粘った。幹事としてみんなを連れてきて、みんなが楽しみにしているバーベキューができません、とは言えない!と泣きつくと、なんとかしましょう、となじみの宮川さんは請け負ってくれた。きょう宮川さんに、先に予約していた方たちはどうされたのですか、と聞いたら「ああ、食堂で食べさせました」だと。予約していた人を私たちはどかしてしまったのであった。 この風だから「ちょっときょうはやめときましょう」とか言って皆納得してくれたのかもしれない。でも私らは「どうせあの連中は風が吹こうが雨が降ろうが平気でやらかして、叩いたり踊ったりするんだろう」と思われていたに違いない。そしてそれはしっかり当たっていたのである。ちなみに宮川さんはホンジャマカの石塚に激似である。彼を少し小柄にして色黒にすれば宮川さんになる。カジ姐は「黒石塚」と呼んでいた(写真がなくて残念)。
ワイワイとバーベキューを楽しんでいるうちに、少しずつ晴れてきた。風はなかなか収まらず、紙皿やコップが突風に吹き飛ジレトールやまだまアラビア女のアーラんで、しょうゆやビールを浴びた人多数。しかし宮川さんの読み通り(?)そんなことはものともしない我々だ。近くに他の人がいないのをいいことに、叩き始め、踊り始める。しかし楽器が少ないので、「次期ジレトール」(?ほんとか?)ヤマダマ先生は「口ヘピニキ」でリードをとる。寒いのでパレオを肩掛けのようにまとった「アラブ女のアーラ(??)」が踊る。日が射してきて海の色が変わった。宝石のような色である。たっぷりのお酒、おなかもいっぱい、叩き踊り、よい空気を吸い、と、行いが悪い人々もそれなりにしあわせなひとときを過ごしたのだった。
 バーベキューの後は、恒例の「地鉈温泉」である。切り立った崖の底に沸き出す温泉で、行きに下っていくのはまだよいが、帰りに登ってくるのは一苦労。滞在中何度も行く気にはあまりなれないが、一度は来なくては。それに初体験の人はぜひ連れてこなければなるまい。
ここは源泉が沸騰しかかるほどに熱い。潮が満ちてきて、海水でその熱いお湯がうめられると調度良くなる。しかし今回行った時間はちょっと潮の満ちが足らなかったようで、ごくごく海に近いところしか入れそうな部分がない。
「かなり熱いよ、気をつけてね」と言い、それを聞いて「そうか」と思っていたつもりだったのに、と本人も後で言っていたのだが、服を脱いでいる間に忘れて(?)手近なお湯に、それも加減も見ないままに「飛び込んだ」安中ちゃんは、次の瞬間「あぢあぢあぢあぢあぢあぢ」と叫んで飛び出してきた。あたりまえである。湯気を立てて見るからに熱そうなのに・・。足の皮がちょっと剥けてしまうくらいの熱さだったが、幸いにして大やけどまでは至らず。でも、アブナイったらありゃしない。湯船(と言って良いのか・・)の底はぬるぬるしてすべるので、あわてて転んで頭を打ったり、あるいは全身で熱湯に入ってしまったらシャレにはならない。しばらくしてようやく適温の部分におさまった安中が、少し遅れてやってきたこゆみこがそばの湯に足を入れて「熱地鉈温泉い!熱い!」と叫んでいるのを聞いて、「こゆみさん、熱いってのはそんなもんじゃないですよ」と、なにや
らえらそうにしたり顔で言っているので笑ってしまった。
わずかしかない「なんとか入れる部分」も、かなり熱い。おまけに、まだ風が強くて外に出ていると相当寒いのである。「熱い!」「寒い〜〜!」の連続でくたびれる。なんとか入れる部分にみんなでひしめきあって入ることになる。安中と私とヤマダマは、温泉の外側の海の部分に入ってみる。これがなかなか快適であった。そばにいた、ものなれた風のお兄さんに聞いたところ、うねりがなければその部分でも泳げるし地鉈安中&ジャイアンひしめきあう地鉈ようこちゃん、魚もたくさんいるのだそうだ。いいことを聞いた。泳いで、暖まって、また泳ぐ。極楽ではないか。しかし今日の状況は極楽と言うより、かなり難行苦行である。寒いか熱いかのどっちかだ。それでも小1時間はそこにいた。みんなウダウダしていた・・というより、適温のところに入るともう二度と出る勇気がないのであった。

 宿「そね」のおばちゃんは夕食時のビールを大盤振る舞いでおごってくれた。でも昼間飲み過ぎたせいか、いまひとつビールの消費はすすまない。しかしながら夜は長い。島で一件しかない居酒屋「千漁」に行こう!と予約の電話を入れる。20人ぐらいで行きます、と言うと店の人は「ええ?」と少し呆れたような声を出した。前日に一応10人で予約を入れておいたのだが、電話したとき「予約なんかしなくても大丈夫ですよ〜〜」なんてのんびりしたものだったのである。しかしメンバーのうちには、1ヶ月前からあの居酒屋を予約しておけなんて声もあった。一昨年にここに行こうとしたら「親類の結婚式のため臨時休業」だったのである。「一月前から、20人ぐらい行くと言っておけば親戚の結婚式だってキャンセルして店を開けるだろう」と、予約を主張する御仁は言っていた。島に唯一、だからそれもむべなるかな。結局事前の予約はしなかったが無事営業はしていた。 20人の予約に呆れた店の人は、実際に我々が店に行ってから、さらに想像を絶する「呆れ」モードに入ったことと思う。なにしろよく飲む。島焼酎のボトルを次から次へと何本空けたことか。しかしそれでもさらに、翌日にはもっと呆れることになるのをまだこの時点では誰も知らなかった。
しこたま酔っぱらった連中は、店を出てもまだ素直に寝に行こうとはしない。これから温泉に行こうときたもんだ。その夜は、強風のおきみやげで、星がものすごくきれいだったのである。息をのむような満天の星空。天の川は言うまでもなく、星がみっしり空を埋めているとさえ言いたくなるような見事な光景。温泉は一応照明があるはずなので、品行方正(?)な私も行くことにした。
これが素晴らしかった。海辺にある、雅(みやび)の湯という比較的新しく造られた露天風呂である。湯加減もほどよく、しかも周囲が暗いので星がさらにきれいに見える。浅い風呂に寝転がるように浸かり、ずっと星空を眺めていられる。 しかし無粋な連中はこんなロマンチックなセッティングをもやはりぶちこわす。
「小林、脱ぎま〜す」

などと宣言しては、フルチンになる。水着着用原則の混浴露天だが、暗くてよく見えないのでどうでもいいのである。まあ、水着を着ているよりもハダカのほうが気分がいいのは分かる。だからといっていちいち宣言することもあるまいに。
小1時間も露天風呂で星見を楽しみ、宿に帰るともう1時過ぎである。それでも連中はまだ寝ないのだ! 離れの部屋で、あらためて焼酎を飲みつつ4時頃まで怪談やシモネタに興じていた…らしい。さすがにつきあいきれない私はさっさとリタイア。いや、普通の状況ならつきあってもいいが、私は海に来たら断固として泳ぎたい。幸い天気は回復傾向にある。あしたは絶対に泳ぐ。寝不足とか二日酔いとかで泳ぐチャンスをフイにしたくはないのである。

9月23日(日)
 快晴である。風はまだやや強いが、日差しも強い。これなら文句なく泳げるだろう。午前中はなんとなくウダウダし、今日帰る連中が港へ向かう11時頃まで過ごす。木曜夜から来ている6人と、昨日来たばかりの6人が帰る。誰が一番行いが悪いのかよく分かる。寒い一日だけしか過ごせなかったヤツラだ! 彼らは行きも帰りも船が揺れたし、気の毒に(私は行き帰りとも揺れなかったし、天気にも恵まれて、日頃の行いがいいことを確信した)。

 帰る人間を見送ってから、中の浦へ。それでも風が冷たいので泳ぐにはやや気合いが必要だ。中の浦には珍しくうねりがある。ここは深い入り江になっているので、よほど海が荒れてもあまり影響を受けないのだ。その中の浦にうねりがあるくらいだから、外海はかなりだろう。新島と式根島を結ぶ所要10分程度の定期便は欠航になっていたし。
 浜について真っ先に泳いだのは私を含む女性陣ばかり。男性陣はいきなり酒盛りだ。どこにいっても車座になって酒盛りをしているのだ。背景が変わるだけで、態勢は変化なし。女性陣はお酒も飲むが、よく泳ぐ。もと水泳選手の雄々しいキャシーも、小柄でかわいらしい美樹ちゃんも、ダイバーようこちゃんも、ずいぶん沖まで泳いでいってなかなか岸に戻ろうとしない。男性陣はちょっと波打ち際に行ってはみるが、すぐにからだを縮めて戻ってくる。やっぱり女性は皮下脂肪がある分、寒さに強いんだって? それもあるがやっぱり根性の違いだと思うな。
楽器を持った人がなぜかほとんど朝の船で帰ってしまったので、なにも音がない。カセットデッキもないので静寂である。ひたすらまったりだ。でもまあ、たまにはこういうのもいい。リベルダージにおいて人がこんなにいながら静かだなんて貴重なことである。
点検係なにわちゃん雅の湯2時半頃には引き上げて、またもや雅の湯へ。さすがに人が多い。お湯も適温、風もちょっと冷たいが快適である。ダイビングで来ているらしい男女のグループが、やおら湯から出て岩を乗り越えて海の方に行き、泳ぎ始めた。「え?ここって泳げるの?」目を輝かす私とようこちゃん。しかしゴーグルを持足付温泉ってきていないしコンタクトレンズをしたままなので今は泳げない。よおし、明日の朝だ!とはりきる。
夕食後しばらく各人休憩し、またもや「千漁」に乗り込む。コナオが電話して、
「いまから10人ぐらいで行きます、きのうも行ったものなんですけど。島焼酎のボトルはまだありますか?」 
さあ大変だ。店は「臨戦態勢」に入ったことであろう。
「ボトルは3本しか残ってないです」
「じゃあそれ、確保しておいてください」。
  そして「くさやだ、くさや!」と雄叫びをあげながらまたもやゾロゾロと出かけていったのである。つくづくと、酒呑みがそろったと思う。一昨年もこの店に行ってくさやを食べたが、みんなトライはするもののいまひとつ好きとはいえない、という感じで複雑な顔をしていた。この奇妙な食い物は、やはり大酒呑み専用なのである。島焼酎と一緒にやれば、あの臭さがくせになる。そのくさやをワクワクしながら食べに行こうとしているこの集団はまごうかたなき大酒呑み連中だということが証明される。
店では「きのうも来てくれたから」と、ひとりひとりに行き渡るように小さなアジのくさやをサービスしてくれた。それでは飽きたらず、むろあじとかわはぎのくさやをさらにオーダーする。確保しておいてもらった式根フィズでカンパイボトルはあっというまに殲滅された。「もう少し酒屋さんに持ってきてもらいます」と店のきれいな娘さんは苦笑しながら言ってくれた。
最年少の、大学生・「キムタク」こと亮太郎がぼそっと「カラオケやれるのかな・・」とつぶやく。リベルダージではめったにカラオケをやることはないのだが、前述したように楽器を持っている人間が誰もいないのでパゴージにもならない。それで、「キムタク」のつぶやきに皆が「やろうやろうやまだまに乾パイ!」と大乗り気。
歌う亮太郎・踊る阿保どもレオン絶唱しかし実はすでにカラオケには先客があり、ドアで仕切った別室で歌っていたのである。カラオケのモニターは我々がいた場所にも置いてあったが、個室と共有なので、こちらでスイッチを入れると個室で歌っている同じ曲がもちろんその歌っている声付きで流れてくる。ということはこちらで歌えば同じことが個室の中に起こるわけである。それでもお店の人はいいというので、無理矢理に自分たちの曲を入れまくる。しかし個室の中のテキ(?)もさるもの、慣れているらしく、我々がモタモタと1曲予約するうちに3曲ぐらい入れている。どうやら地元の若い女性が「練習」しに来ているらしい。しみじみしたバラード調の曲ばかりだ。「練習」に気合いが入っていると見えて、歌い終わって後奏部分になるとさっさと切ってしまって次の曲に移るのだ。そこへ突然乱入してきたド阿呆集団は「踊れる曲踊れる曲!」と騒いでにぎやかな曲ばかり入れ、マイクを持った人間など無視して全員で絶叫し、踊り狂う。その間、個室の中の女の子2人はどういう思いでいたことか。しかしさっきも言ったように予約にもたつくので、1曲歌うとその後3曲ばかり、彼女たちのバラードで頭を冷やされる(と言いながら、けっこうこちら側でも彼女たちの歌に一緒になって歌っている人間多数だったのだが)。そしてまた自分たちの馬鹿な曲が入ると全開で大騒ぎ。そんなこんなで1時頃まで騒いでしまったのであった。個室から出てきた2人の女の子は私たちと目も合わそうとしませんでした、マル。18歳以下禁
「帰り道に呑むドリンク作って」なんぞととんでもないおねだりをしたコナオにいやな顔もせず、店のおばちゃんは梅酒を混ぜた焼酎のドリンクを作ってビンに入れてくれた。それをラッパ飲みしながら帰る呑んだくれたち。式根島のアイドル(?)中学校前にたつオマワリサンにキスするヤマダマ。狂乱の夜はふけるも、まだ終わらず、しつこく真夜中の雅の湯にまた繰り出す。まーの恋人
ヤマダマとようこちゃんはあまりにも酔っぱらっている様子なので、責任者の私としては、ここで温泉になど行かせていいものかと非常に悩む。しかし止めて聞く相手ではない。ようこちゃんはなぜか着替えも持たぬ手ぶらで温泉とは反対方向にふらふらと歩き出す。
「ようこちゃん、どこいくの?」
「おんせん〜〜〜〜」
呆気にとられてしばらく見送っていたが、さらに温泉とは関係のない方向に道を曲がっていくので、何人かが走って後を追いかけていった。追いかけていった連中もなかなか戻ってこないので私自身も見に行ったら、遠くからぞろぞろと戻ってくる。
「なにやってんの」
「いや、追いかけたら突然走って逃げたんですよ、ものすごい勢いで・・・」。
やれやれ。こういう状態のヤツを本当に温泉に行かせるなんて私はとても放っておけない。私自身はさっさと寝ようと思っていたのだが、しかたなく監視役としてついていくことにした。

みやびat nightなぜかお湯がぬるすぎて、一度入ると風が寒くて誰も出られない。1時間半ぐらいうだうだし、このまま朝までここにいなければならないのか?などとふやけきった体と脳味噌で考えはじめたころ、誰かがかろうじて残っていた知恵をふとひらめかせて、流れていた水を止め(それまでなぜ気づかない?)やっと少し暖かくなったお湯で体を温めて出てくる頃にはもう3時である。

 しかし島焼酎はお酒としてはタチがいいようだ。あんなにベロンベロンだった連中が、朝食時には、まだ眠そうではあるものの、少なくとも二日酔いはしていない。
「おおゆみこさん、泳ぎに行きましょ!!」
とようこちゃん。うっわー。なんて元気なんだ。しかし私は宿代などを精算しなくてはならない。自分も遊びに行きたいので通告が厳しい口調になる。
「精算します、ひとり○○円ね、さっさと払ってね、精算がすまないと私が遊びに行けなくなるから、さくさくしてよ!」
それを聞いてそねのおばちゃんが
「そりゃ自分も遊びに行きたいよね〜」
笑っていた。 おかげでそれなりにさくさくと支払いがされ、計算して宿にお金を払い、あとは船の時間まで自由! 悔しいくらいに晴れている。きのうの計画通り、雅の湯に行き、そばの港で泳ぐ。さすがにあまり魚はいないが快適だった。そしてお湯で暖まり、完璧である。

 それにしても晴れている。ううむ…・。今回の旅行、天気に恵まれなかったというのか恵まれたというのか、微妙なところだ。出発直前まで台風に気を揉んでいた。直前の天気予報も、期間中ずっと雨や曇りだった。それなのに、実際は昼間は雨が降らず、曇っていても薄日は射し、少なくとも海辺で過ごすことができたのだ。やっぱりこれはラッキーの部類である。地元の人も首を傾げるような寒さを、しかし誰が持ってきたのかね一体。
「俺かもしんない」
とヤマダマ。
「けっこう俺はつらい境遇ってのが好きだったりするし・・」 
つらい境遇が好きなのは勝手だが周囲を巻き添えにしないで欲しいぞ。

道で呑む甲板で呑む帰りの船の甲板ではさっそくに酒盛り開始(船に乗る前から港の前の道ばたで店をひろげていたのだ、まったく、またもや「背景が変わるだけ」なのである)。そしてパゴージで盛り上がる・・と行きたかったが、なにしろ楽器を持った連中は前の日に帰ってしまっている。パンデイロしかない。仕方なく側にあったゴミバコなど叩ゴミバコ叩くいてみるが、さすがに長くは持たない。それでも、しばしの間は歌なども歌い、ダンサーは踊り、甲板にいた他の観客からも拍手をあび、「どういうグループなんですか」と興味を持って聞いてくる人もいた、といういつもの展開は小規模ながらあった。あとで聞いたところでは、日曜帰還組は、目も開けられないほどの強風で雨でもないのにびしょぬれになる、そんな状況でも甲板パゴージを強行、ギャラリーもたくさんいたとか。月曜帰還組は船も揺れず、完璧な天気だというのに結局はただの酒盛りになり、そのうちみんな討ち死にだ。ううむ、そういえば最近入会した人々には日頃パゴージの楽しみというものを味わってもらう機会がなかったものねえ。とくにカバキスタの養成が焦眉の課題であるなあ。

おおゆみこも早々に討ち死にしたが、ふと目ざめると5時過ぎ。もしかすると夕日がきれいかもしれない。そう思って甲板に出ると、期待通り、いやそれ以上の状態。水平線・地平線に雲一つない。ふつうは、晴れていても地平線には雲が湧いていて夕日はいつのまにか雲にまぎれてしまうことが多いのだが、今回は太陽は山の端に完全に姿を隠すまで、ずっと輝きを放っていた。おまけにすこし右の方には、富士山の完璧なシルエット。なにも隠すものがなく、すそ野まで雄大に拡がった美しい姿に、外人のグループもしきりに感心し写真を撮る。ちょっと誇らしいような気分。太陽が完全に沈んで、紅の夕焼けが宵空に変わっていくグラデーションの美しさ。圧巻である。
いや、海も星も富士山も夕日も、美しかった。自然美に酔いしれ、島焼酎に酔いしれたすばらしい日々であった。

また来年ね!と、宿のおばちゃんにも土産物屋のおばちゃんにも居酒屋のおばちゃんにも挨拶してきた。来年に向け、パゴージの精進をみなそれぞれしておくように!(ってその前に浅草があるけどさ)。

 

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